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ささら
回答数 33>>
この「余裕がない」という状態は具体的には議論の場において「自尊心が傷つけられるかもしれない状態」、「相談の場においては傷つき、ただ寄り添いを求めている状態」などを想定しています
論理は確かに結論の妥当性を担保してくれますが、問題解決のための1つのアプローチにすぎません。余裕がない人にとってはこの論理によるアプローチはあまり重要ではないのかなと思います。だから、論理が「筋違い」であったり、「無意味」な屁理屈み見えてしまうのかもしれませんね。そのような意味においては「論理は屁理屈」であるというテーゼは論理を当事者が論理をどう受け止めるかに依存するので、それぞれ逆の意味を持ちながら必ずしも矛盾するものではないかと思います。
論理は絶対ではないと知ること自体が論理を扱う人間にとっての「余裕」に繋がるのではないかもしれませんね。あと関係ないですが、僕の屁は臭くないです。マジで。
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