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ハーロック
男は、少しだけ口調を柔らかくする。
「人生ってな、未来の答え合わせが先に来るもんちゃう。
先に来るのは、今日の選択や」
「自分、今回の旅でそれをやっとる。
『今日はここまで行く』
『今日はこれを食べる』
『疲れたから休む』
『行けそうやからもう一歩行く』
それだけで、旅は前に進む」
彼女は小さく笑った。
「旅と人生を同じにするの、ズルくないですか」
「ズルいで。
ズルいけど、本質や」
黒い服の男は、彼女の靴先を見た。
砂が少しついている。
その砂は、ここまで歩いてきた証拠だ。
「自分はな、誰かがおらんと何もできへん人ちゃう。
誰かがいてもいなくても、進める人や」
彼女は、言葉を飲み込んだ。
それは褒め言葉なのに、胸の奥が少し痛い。
孤独の痛みも含んでいるから。
男は続ける。
「ただしな、勘違いすんな。
一人で進める人ほど、誰かと一緒におる時に強い。
寄りかかるんちゃう。並べる。
そういう人や」
彼女の目が揺れた。
恋も仕事も、いつも“うまくやらなきゃ”と肩に力が入っていた。
でも、並ぶ。
それなら少し、呼吸が楽になる気がした。
黒い服の男は、海の向こうを見たまま言った。
「北海道が見えるのに届かへんって、もどかしいやろ」
「でもな、見えるってことは、方向が分かるってことや。
いまはまだ届かんだけで、進める側におる」
彼女は風に目を細めた。
潮の匂いが強くなる。
涙が出そうになって、誤魔化すように笑う。
「……なんか、今日の私、弱いですね」
黒い服の男は、あっさり言った。
「弱い日がある人が、強いねん。
弱い日まで一人で歩いてきたんやろ。
ほなもう、十分や」
彼女は、深く息を吸った。
冷たい空気が肺に入って、頭の霧が少し晴れた。
「私、この先、どうしたらいいんでしょう」
黒い服の男は答えない。
答えない代わりに、彼女の手元の手帳を顎で示した。
「自分で決めるやろ。
いつもそうしてきたみたいに」
そう言って、黒い服の男は砂利を踏んで歩き出した。
振り返らない。
引っ張らない。
ただ、背中だけ置いていく。
彼女は、もう一度だけ北海道を見た。
届かない距離。
でも、見える距離。
“今はまだ”の距離。
それが、なぜか希望に見えた。
彼女はスマホを開き、明日の予定を確認する。
予約した宿。乗り換え。食べたい店。
それらが、急に“作業”ではなく“自分の選択”に戻った。
浜を離れる前に、彼女は小さく呟いた。
「……大丈夫。たぶん、私、ちゃんと歩ける」
言った瞬間、胸の奥が温かくなった。
誰に言うでもない言葉が、いちばん自分に効くことがある。
そして彼女は、砂のついた靴で、来た道をゆっくり引き返した。
背中は軽くない。
でも、折れてはいなかった。
#希望 #自作小説 #黒い服の男

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