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ハーロック

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第一話 (全二話)

風は、北の端っこみたいな匂いがした。
潮の塩気に、少しだけ鉄っぽい冷たさが混ざっている。波は荒いのに、空は澄んでいて、遠くの輪郭だけがやけにくっきりしていた。

大間崎。
本州の北の果て。

彼女は、浜に立って北海道を眺めていた。
見える。確かに見える。
けれど触れられない距離がそこにある。
それが今の人生みたいだと思った。

恋も、仕事も、ちゃんと頑張ってきた。
手を抜かなかった。
うまくいった日もあるし、どうにもならない日もあった。
泣いて、笑って、踏ん張って、気づけば疲れていた。

「……この先、どうなるんだろ」

結婚できるだろうか。
仕事は上向くだろうか。
幸せになれるのだろうか。
問いを重ねるほど、胸の中に薄い霧が増えていく。

そのとき、背後から足音がした。
砂利を踏む音。一定の重さ。
振り向くと、黒い服の男が立っていた。

黒いコート。黒い手袋。
海風に揺れる髪だけが、妙に現実っぽい。
関西弁で、ぽつり。

「自分、ええ場所まで来たな。
ここまで来る人、意外と少ないで」

彼女は少し笑った。

「観光なら、来る人いるでしょう」

「観光は来る。
でもな、“一人でここまで来る”は別もんや」

男は、彼女の手元――スマホと小さな手帳をちらっと見て言った。

「自分、ここ行くって決めたやろ。
ほな、どうやって行くか考えたやろ。
泊まる場所も、ちゃんと押さえたやろ」

彼女は肩をすくめた。

「……普通じゃない?」

黒い服の男は首を振った。

「普通や思ってる時点で、自分はもう“自分で決められる側”や」

彼女は眉をひそめた。
男は、わざと軽い口調で続ける。

「世の中な、“決める”ってだけで疲れる人が多い。
晩ご飯何食べるかで、三日悩める人もおる。
自分は今、晩ご飯どころか、地図の端っこまで来とる」

彼女は、思わず吹き出しそうになった。

「言い方が大げさ」

「大げさに言わな、凄さって本人に届かんねん」

男は、海の向こうを指差すでもなく、ただ隣に立って言った。

「一人旅ってな、楽しいだけちゃう。
めんどくさい。怖い。寂しい。寒い。
それ全部、自分で抱えることや」

「迷ったら、誰かが決めてくれるわけちゃう。
遅れたら、誰かが謝ってくれるわけちゃう。
感動した時も、隣で『すごいね』って言う人おらん。
でも自分はそれを、全部、自分の中で処理して、ここまで来た」

その瞬間、彼女の胸が少しだけ熱くなった。
たしかに旅は楽しかった。
でも、途中で心細かった夜もある。
駅のホームで遅延にイライラした日もある。
一人で食べた夕飯が、やけに静かだった夜もある。

それでも、自分で選んで、自分で進んだ。

黒い服の男が言う。

「自分、いま人生の先を心配しとるやろ。
結婚できるか、仕事うまくいくか、幸せになれるか」

彼女は黙って頷いた。
男は、そこで答えを出さない。
“こうしろ”とも言わない。

代わりに、浜の砂を軽くつまんで落とした。

「砂ってな、粒やろ。
一個一個は小さい。
でも、集まると浜になる」

「自分が今までやってきたことも、粒や。
恋も仕事も、うまくいった日も、空振った日も。
ぜんぶ粒や。無駄な粒はない」

彼女は海を見つめたまま、ぽつりと言った。

「でも、疲れた。
頑張っても、報われない日がある」

黒い服の男は、さらっと言う。

「そらある。
でもな、自分が今ここに立ててる時点で、飲まれ切ってない」

彼女は、はっとした。
飲まれ切っていない。
確かにそうだ。


#希望 #自作小説 #黒い服の男
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