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自分を嘆く声が、神に届くとき

こんにちは、石川尚寛です。
この前、仕事で大きな失敗をしてしまいました。誰かを傷つけたわけではないけれど、自分の不注意で台無しになったことがあり、帰り道で「なんで僕はこんなに弱いんだろう」と心の中でつぶやいていました。そのとき、ただ落ち込むだけではなく、自分自身を嘆くことが神に向かう声になるのではないかと感じました。そこから、モーセ五書のある一節に心が向かいました。

民数記11章14節で、モーセは「この民を一人で担うことはできません」と嘆いています。ヘブライ語原文では「לֹא־אוּכַל אָנֹכִי לְבַדִּי」(ロ・ウカル・アノキ・レヴァディ)、「僕一人ではできません」という意味です。これは民の不満に押しつぶされそうになったモーセの叫びであり、自分自身の限界を嘆く言葉です。

僕はこの言葉に触れたとき、自分を嘆くことは決して無駄ではないと思いました。むしろ、それは「僕は完全ではない」という正直な告白であり、「あなたに助けてほしい」という祈りの始まりなのだと感じます。自分を責めるだけの嘆きは閉じてしまいますが、神に向かって嘆くとき、それは開かれた声になるのだと思います。

日常の中で、自分の弱さに気づいて嘆く瞬間は誰にでもあるはずです。その声をただ自分の中で消してしまうのではなく、神に向けて差し出すことができたら、そこに新しい歩みが生まれるのかもしれません。嘆きは終わりではなく、始まりのしるしなのだと、この一節から学びました。

これからも、自分の弱さを隠さずに嘆きを言葉にしていく勇気を持ちたいと思います。気になった方は、ぜひAmazonで「創世記 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。

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