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顔をあげる小さな勇気──創世記4章からの気づき

こんにちは、石川尚寛です。
最近、人とのやり取りの中で、自分の思いが伝わらなかったり、誤解されてしまったりすると、つい心が沈んでしまうことがあります。そんな時、僕はどうしても「なぜうまくいかないんだろう」と憤りのような感情を抱いてしまいます。顔を伏せてしまうような気持ちになるのです。

その感情に向き合っている時に、創世記4章6–7節の言葉に心がとまりました。カインに語りかける主の言葉です。
「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

ここで使われている「罪」という言葉は、ヘブライ語で ḥaṭṭā’t(ハッタート)です。これは「的を外す」というニュアンスを持っています。つまり、狙ったところから外れてしまう状態を指しているのです。僕はこのニュアンスに触れた時、日常の中で「うまくいかない」と感じる瞬間も、必ずしも自分が悪いわけではなく、ただ的を外してしまっただけなのかもしれないと気づきました。

また「それを治めなければならない」という部分に使われている動詞は māšal(マーシャル)で、「支配する」「統べる」という意味があります。罪や憤りは僕たちの心に寄り添うようにやってくるけれど、それに支配されるのではなく、むしろ自分がそれを治める立場にあるのだと示されているのです。

この箇所を読むと、罪が軽く見えるように感じることもあります。けれど、実際には「罪そのもの」ではなく「罪に向かう心の傾き」が描かれているのだと思います。小さな憤りや嫉妬に心を奪われる前に、顔をあげる勇気を持てるかどうか。その分岐点に立たされているのがカインであり、僕自身の日常にも重なるのです。

僕はこの言葉から、「顔をあげる」という行為そのものが日常の中での小さな勇気なのだと学びました。憤りや落ち込みに支配されそうになる時、ほんの少し顔をあげるだけで、次の一歩が見えてくる。罪は軽いものではなく、芽生える前の心の動きから始まるのだと気づかされます。

これからも創世記を丁寧に読みながら、自分の心の動きを見つめていきたいと思います。気になった方は、ぜひAmazonで「創世記 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。

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