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あお🫧
回答数 43>>
善行や思いやりも、
もともとの動機を辿れば
自分の心の欠乏や引っかかりを避けるために出てくる行為だ。
つまり、善も悪も、根っこをたどれば
エゴの働きから出てくるものであり、
人間の行動の全ての源泉である。
よって、悪は特別な存在ではない。
それは、誰の心の中にも潜んでいる
影のようなものだ。
悪の根底には、いつもエゴがある。
エゴは、静かに心の底で息をしている。
ときにそれは支配欲となり、
他者の自由を奪う形をとる。
ときに優越への渇きとなり、
他者を踏み台にする。
喪失への恐れに姿を変えれば、
誰かを傷つけてでも自分を守ろうとする。
承認を求める渇望となれば、
真実を覆い、嘘を紡ぎ、欺くこともある。
これらは本来、防衛本能として自然なものだ。
だが、エゴが理性や共感を追い越したとき、
人は「悪」と呼ばれる行為をなす。
残酷さの根は、欠乏と恐れにあるのかもしれない。
人は「悪を憎む」と言いながら、
自らのエゴは「正義」だと信じやすい。
悪は他者の中には見えても、
自分の中には見えにくい。
自ら考えることを放棄し、
心の感覚を鈍らせ、
正義の名のもとに思考を停止するとき、
人は他者の痛みに気づかなくなる。
その鈍感さこそが、
悪が芽吹く温床となる。
社会において「悪」とされるものは、
共同体が共有する“善”から逸脱した行為にすぎない。
それは「みんなを不安にさせるもの」に貼られるラベルであり、
ゆえに悪は絶対ではなく、相対的に定義される。
悪(エゴ)は誰もが持ちうる。
すべての行動の源がエゴである以上、
善も悪も、その「程度」と「多数派の価値観」によって決められる。
少数は、しばしば“悪”と名づけられる。
──だからこそ、「悪」を語るとき、
私たちはまず、自分の中のエゴと向き合わなければならない。
外側ではなく、
内側の影と。
#エゴと悪#行動の源#ことばりうむの星

コメント
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まーやん
今年は様々なことがあり2箇所のカウンセリングに本格的に通う年になってしまいました💦
この世から自分の存在を消したいと思ったこともありましたが、優しいグラ友さんのお陰でここまで生き延びました🥹
皆さんありがとう🙇♂️🙇♂️

saki

うみ

ロー
親や先生や友達や誰かに
刷り込まれた自分だったりする。
それで苦しんだり
喜んだり
一喜一憂するけれど
外からの出来事から
得たものでは
本当のやすらぎは得られない。
自分は自分でしか救えない。
内側から湧き出るものを
感じで行こう。
そうしたら
私は、
あなたは、
何者にもなれる。


最新のヤツ
人それぞれ一人一人の楽しみ方がある中、多様性の無い方々って、本当に頭が硬いんだなって思います。

なつめ


my
今彼が本当に運命の人ならば
こういう気持ちにはならないだろうから
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にゃん

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2929@ブ

みー

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(元sgr_10

☺︎ こ

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おやすみなさいませ…
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yjk☁️
日本語の「悪」とは、大雑把に言って「迷い」を指すらしい。そして、その「迷い」の文脈は無知・執着・未熟さによるズレを表すみたい。 要は、内的なズレ。 やから、あおさんの言う 「自分の中のエゴ(内側の影)と向き合う」っていうのは、核心を突いとるかも♪ ただ、質問者さんが、この「悪」をどう解釈した上で聞いているのかによって、回答が変わってくる。 例えば、「悪」を英語の「bad」ではなく「evil」。日本語で表すと「絶対悪」みたいな概念として聞いているのならば、ただの「悪」とは区別する必要がある。 言葉の起点の文化的背景も含め、視点によって解釈が変わるから、めんd……難問やね(笑)
ドゥー
正義のヒーローは邪悪な存在無くしてヒーローでは居られないって聞いた! 力を持て余した存在はみんなに畏れられるって。
ぎゃくりゅうさん
こんなに素敵な詞のように惹かれるご回答ありがとうございます!!どの言葉にも頷きました。特に、“人は「悪を憎む」と言いながら、自らのエゴは「正義」だと信じやすい”という言葉は人間の弱さの核心を的確に指摘していると思いました。本当にありがとうございます🙇