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としゆき

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母親が作った料理に、子が「まずい」と言ったら、母親が「だったら食べなくていい」というやり取りがあった場合、母親と子それぞれにどのような非があるか母親が作った料理に、子が「まずい」と言ったら、母親が「だったら食べなくていい」というやり取りがあった場合、母親と子それぞれにどのような非があるか

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母親がいつも似た料理ばかり提供している様な、栄養管理に怠慢なタイプの毒親であった場合、その子は食べ飽きた、他のものが食べたいという何かしらの懇願というサインと解釈した場合、母親の「だったら食べなくていい」は、一見、「食べたくなければ食べる必要はないよ」という選択肢を与え、意思決定を尊重している風にも見えますが、実際のところは食べることを選択せざるを得ない、選択の強制の構造が存在している風に見えます。
この構造に関しては母親の育児能力、親としての責任感に疎いという、精神的な未熟さとやや自己中心的なその状態が、「非」という概念に当てはまるのではないか、と思います。

次に、子のわがままや単に嫌いな食べ物に関する端的な拒否としての子の「まずい」を考えてみた場合、もしその子が齢でいうとだいたい13歳以下の年齢の子による「まずい」の発言は、多種多様な食を摂取する必要の判断がまだできない経験的未熟の状態にあるだけと判断できるので、母親の「だったら食べなくていい」は一概には毒親系の発言であるとは解釈できるとは限らず、食の重要さの教育の一環であるとも解釈できます。
もちろんこうした接し方の全てが良い結果をもたらすとは限りませんが、1番目と2番目の状況の例を考えたら、1番目の方に非があることが多い傾向があると判断してもよいと思います。
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母親がいつも似た料理ばかり提供している様な、栄養管理に怠慢なタイプの毒親であった場合、その子は食べ飽きた、他のものが食べたいという何かしらの懇願というサインと解釈した場合、母親の「だったら食べなくていい」は、一見、「食べたくなければ食べる必要はないよ」という選択肢を与え、意思決定を尊重している風にも見えますが、実際のところは食べることを選択せざるを得ない、選択の強制の構造が存在している風に見えます。