母親が作った料理に、子が「まずい」と言ったら、母親が「だったら食べなくていい」というやり取りがあった場合、母親と子それぞれにどのような非があるか

よつき
現状の不味いご飯が提供されていることに対して、変更方法は不味いことを伝えるしかないため
伝え方が悪いなら、その事に対して指導されるべきだが、伝え方が悪いことを知らないのは罪でない
母親には非がある
食べないという選択肢が取れない子供に対して、食べなくて良いと言うのは、食べるなと言うことと同義のため

あきら
「食べなくていい」は虐待と同等の言動に値する。
「まずいんだね、どんなふうにまずいの?」と言えばそこから会話が広がり食事のマナーや食べ物への感謝の気持ちを育むチャンスにつながる。
親は子供の成長と一緒に自身も成長してこそ親になることが出来るのではないでしょうか?
子供の態度や言動に感情的になるのは
自身がまだ親になれていない子供であるという証だと思います。
つまり母親に非があると思います。

maimai
え❓何が足らない?って教えてもらいます。
考える力も付くし、ショックを受ける言葉だとまも教えられるかな…って。

パン

薄明
それによって、非の比率がかわりそうですね

憂い顔の騎士
母親、食べ物を与えないという、脅迫により子供を従わせようとする問題

sixthsense
父が作ったぜんざい…、
砂糖と塩を間違えていて、
食べれなかったんです😓
だるま落とし

クロネク
親は味覚が違うのかもしれないから、子供と一緒に味見しろ。
結論一緒に料理をして
そして、美味いものを食おう(話が変わってきた
としゆき
この構造に関しては母親の育児能力、親としての責任感に疎いという、精神的な未熟さとやや自己中心的なその状態が、「非」という概念に当てはまるのではないか、と思います。
次に、子のわがままや単に嫌いな食べ物に関する端的な拒否としての子の「まずい」を考えてみた場合、もしその子が齢でいうとだいたい13歳以下の年齢の子による「まずい」の発言は、多種多様な食を摂取する必要の判断がまだできない経験的未熟の状態にあるだけと判断できるので、母親の「だったら食べなくていい」は一概には毒親系の発言であるとは解釈できるとは限らず、食の重要さの教育の一環であるとも解釈できます。
もちろんこうした接し方の全てが良い結果をもたらすとは限りませんが、1番目と2番目の状況の例を考えたら、1番目の方に非があることが多い傾向があると判断してもよいと思います。
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