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アメジスト
読書記録です。
人類5000年史Ⅵ
1901~2050年
出口治明 著
ちくま新書
新しい知見が広がる内容でとても勉強になりました。
半藤一利の研究によると、明治政府は日英同盟という後ろ盾を得た段階で対露戦争を計画していたそうです。
司馬史観に反して日露戦争は中国大陸へ向けての侵略戦争という面が大きかったそうです。
ただ日露戦争は日本の国力を限界まで使い果たした戦争で、セオドア・ルーズベルトの斡旋によってポーツマス条約を結ぶことができました。
ただ戦争をするために煽られた世論は国力がギリギリであることの内情は知らされていなかったため、賠償金をとれなかったことに暴発して日比谷焼き打ち事件を起こし、怒りの矛先は米国にも向けられました。
これが米国を日本脅威論へ傾けさせる伏線となりました。
1910年には、天皇を狙ったという政府のでっち上げによって幸徳秋水をはじめとする社会主義者が検挙されて処刑されました。
山縣有朋、桂太郎、平沼騏一郎による策略で、明治体制の本質とは何かということを象徴しています。
1915年には日本政府は、第一次大戦の火事場泥棒さながらに対華二十一ヶ条の要求を突きつけました。
米国や大英帝国が日本を警戒するようになったターニングポイントとなりました。
1922年のワシントン海軍軍縮条約で主力艦の保有比率を英米5:日本3になったことについて、日本は反発しました。
しかし、米国の経済規模は日本の5倍を上回っているため、5:3という比率はむしろ米国の軍備増強に歯止めをかけるものでした。
また米国は大西洋と太平洋の二正面作戦をしなければならず、太平洋のみの日本の方が有利でした。
このあたりから日本の無分別さ、分不相応な振る舞いが目立つようになります。
1930年のロンドン海軍軍縮条約は日本にとって有利な比率でしたが、政友会が軍部と結託して統帥権干犯問題をでっち上げのが、日本が亡国への道を歩むターニングポイントとなりました。
1932年の満州国建国によって、米国は決定的に日本と敵対するようになってしまいました。
1938年の12月に日本軍は重慶に対する無差別爆撃をおこないますが、これが世界で初めての、継続的な大都市に対する無差別爆撃でした。
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うきま

虎の呟
圧縮効果起きてるから断定できひんし、あの画像で審判にボロクソ言うてんの厳しいて
虎バン映像がいちばんわかりやすい視点的にも
甲斐はあの場面で触ってませんなんて言えるわけないしそら触ってるって言うよ聞かれたら

おむぎ
ドサって背中にもたれかかって二度寝三度寝決めてる

なつさ

らいお

ミヤマ(

佐々原

なつさ

きなこ

フンバ
私の苗字も把握していた。
電話内容は「あなたが重大な事件に関与している可能性がある。そのために話がしたいので人のいない場所で聞いて欲しい」
私からかけ直すので、あなたの部署と名前を教えてと伝えると電話が切れました
詐欺電話と思われる
ご注意を!!
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