したがって外面の聖性は、悪人にも善人にも等しく存在します。そして外面だけの信心の人はほとんどの場合希薄です。つまり善や真理の認識を伴っていません。善や真理はそのものとして聖です。それは神のみ力によるもの、神性が内在するものだからこそ、知られ、信じられ、愛されなくてはならないのです