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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-29

#読書の星 #松本隆


☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

80年代〜竹内まりやと山口百恵への提供楽曲

松本隆が79年に提供したその他の楽曲についてもこの本ではしっかりと検証されている。
 前回書いたまりやへの提供楽曲♫SEPTEMBER はサウンド的にも作曲者 林哲司自らが編曲に当たりナイーブな松本の詞に彩りを加えている。所収されたアルバム『LOVE SONGS』自体の構成も奮っていて♫SEPTEMBER に入る直前、♫M・A・R・I・Y・A まりや ヒットパレード  と云う短いジングルがコーラスで入る。まるでラジオ番組宜しく粋な構成である。間髪入れずに♫SEPTEMBER のブラスで始まるあのOP.が始まる。アメリカのウェスト・コースト調の垢抜けた前奏にギターの短いリフが気が利いている。リズミカルな前奏に続いてまりやの甘いヴォーカルが始まると、もう気分はアメリカンである。そこに終始まりや、大貫妙子、まだデビュー前であったがEPOと云う名前で既にクレジットされた佐藤永子の三人によるよく練られたコーラスワークが巧みで、何ロールも聴き返すうちに段々とまりやの唄よりもコーラスの方にも注意して聴きたくなる、そんな不思議な魅力を讃えた作品である。前回書いたこの楽曲の担当ディレクターだった宮田茂樹が年末の賞レースに参加させるための、勝負シングルに松本を起用する、と云うすでに松本隆はそう云う存在になっていた。だが、松本自身は他方で、ある種の寂寥感を感じてもいて、それがまりやへの他の提供楽曲に色濃く投影された。
 話はそこに触れる前に田家は、同時期に山口百恵へ書いた楽曲に触れている。桑名正博へ書いた♫セクシャルバイオレットNo.1 が初めてオリコンチャートの1位になった'79年10月、大阪厚生年金会館のステージに立った山口百恵は俳優 三浦友和との恋人宣言をした。今でこそそう珍しくはないこうした人気タレント同士の交際宣言は、当時波紋を呼び、賛否両論が起こったが世間のムードやマスコミは一様に歓迎・祝福ムードであった。
 後に尾道三部作等で評価される名監督の大林宣彦がその殆どのCM作品を演出した百恵と友和共演のグリコアーモンドチョコレートの作品でアツアツ振りを見せつけていた主演の二人が、リアルに交際するという事実にファンからも賛否両論が巻き起こったのだ。そんな事はそれまであり得なかったし、信じたくない、と云うのが素直なファン真理であろう。12月にリリースされた70年代最後を飾る百恵のシングル♫愛染橋 は松本が作詞、アリスの堀内孝雄が作曲であった。…微笑んで渡れば恋がかなう…と云う伝説の橋、大阪・日本橋(にっぽんばし)のすぐ南に位置するこの橋を舞台に、…結婚なんて旧(ふる)い言葉に縛られたくなくて…渡りたいけど渡れない…と云う迷いの歌でもある。CBSソニーのヒットメイカーキングだった酒井政利ディレクターから指定があったと云う関西弁を歌詞に盛り込む、と云う作業は生粋の東京っ子の松本にとっても刺激のある仕事だったに違いない。百恵は翌年'80年3月7日、三浦友和との結婚・引退を表明する。名曲♫SEPTEMBER を含む4曲の松本作品が入ったまりやの3rdアルバム『LOVE SONGS』リリースの2日後のことであった。その中の一曲♫象牙海岸 。
…海岸線沿いに 夏雲が雪崩れると
 砂の蜃気楼に 立ちすくむ影ひとつ
 人影もない入江 そこが二人の秘密の場所で
 象牙海岸と名前までつけた 遠い夏

 あれから私 時の波間を
 ただ流れ木のように
 ひとりで生きて来たの

 もう一度 訪ねても
 道順さえも記憶の彼方
 夢の中で見た 風景のように 遠い夏

 あなたのあとに 愛を知っても 
 ただ流れ木のように
 岸辺で踊っただけ

 三年をへだてて あなたから来た電話   
 懐かしい名前に 忘れてるふりをした
 冷たいと言われたけど
 本当の気持ちもし話しても
 過ぎ去った時を埋めるものはない
 遠い夏…遠い夏…遠い夏…

 ♫SEPTEMBER に引き続きこちらも林哲司の作編曲。随所で半和音が活かされた印象的且つノスタルジックな曲構成。まりや自身が後にこう回想している。…今、あらためて感じるのは、林さんは私の声の特徴や歌い癖をうまく捉えて、それを生かすメロディを書いて下さっていたんだなあ、ということ。日本の音楽界でも貴重なMOR(ミドル・オブ・ザ・ロード)の作曲家だと思います…
 松本隆は後の自選作品CD集『風街図鑑』の中で、この海岸が何処をモデルにしたのか種明かししている。…伊豆をドライブしていた時にフッと心魅かれた海岸で、二度と自分でも行けない架空の場所…としている。つまり、モティーフは伊豆の海岸なんだろうが、具体的な場所については明かしてはいない。"人影もない入江"とされているから地形が入江になっている伊豆の海岸を探すしかないのだろう。松本に、余り詮索しない事だ、と言われている様なものだ。
 もう一つの名曲♫五線紙 。安部 恭弘の作編曲でほぼアカペラのみ、使用されている楽器はギター1本。リズミックで杉真理の楽曲を彷彿とさせる明るい調。それもそのはずで、慶應義塾大学時代は先輩だった杉真理の主宰していたリアル・マッコイズに所属、従って竹内まりやとも知遇を得ていた。安部のデビューは'82年だからこれはまだデビュー前の作品ということになる。早速松本の書いた詞を見てみよう。
 …あの頃のぼくらは 
  美しく愚かに
  愛とか平和を詞(うた)にすれば
  それで世界が変わると信じてた

  耳元を時の汽車が
  音もなく過ぎる
  ぼくの想い出の時計は
  あの日を差して止まってる

  十二弦ギターの
  銀の糸張りかえ
  旧い仲間もやって来るさ
  後ろの席でひっそり見てくれよ…
 松本が『風街図鑑』の中で書いたところによると…今みたいにはっぴいえんどが伝説になっていなかった時代だから、(竹内まりやが)あの曲を選ぶセンスを渋いなぁと感心した。だからその人に詞を頼まれたときに、12弦ギターを抱いた大滝(詠一)さんや細野(晴臣)さんが行間に見え隠れしてしまったんだね。きっと一人で作詞家してるのが寂しかったんだと思う…と非常に深い心情を語らせていた。この発言は松本の当時の心境が実にしみじみと語られいて、興味深い。そう言えば、この曲は以前竹内まりやのアマチュア時代に牧村憲一が何とか口説いてレコーディングさせた鈴木茂の曲になる
♫8分音符の詩(うた) のアンサーソングであると田家は分析している。はっぴいえんど結成から丁度10年の節目、この年の松本隆の感傷なのであった。松本自身も丁度30歳になっていた。

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象牙海岸

竹内まりや

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コメント

小梅チャン🔴🏖🦛

小梅チャン🔴🏖🦛

2 GRAVITY

ひとつの曲1人のアーティストや作詞が作曲家に、こんなにも様々な心模様や偶然(必然⁉️)があったんやねー[照れる] 龍之介さん、いつも素敵なお話教えてくれて、ありがとうございます[ハートポーズ]

返信
マサヤス   龍之介
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小梅姉さんのコメ、とても励みになります[笑う] こちらこそ💁読んで頂き、わざわざコメントまで添えて下さり、ありがとうございます🙇‍♂️
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