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しーな🐾

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「三日間の幸福」
友達に僕の大好きな本を紹介して、感想を頂いた!
何度も見返せる最高の感想文。皆さんも良かったら読んでみてね🍀*゜
嬉しいなぁ、こうやって好きな物を共有出来るのはさ。それに理解力と伝え方が友達凄いの。


三日間の幸福。
しーなからオススメされて読んだ一冊。
前情報として
 人生の値段があって年/1万円で取引される。
 その値段には幸福度や夢実現度、健康度などで価格が変動する。
 3ヶ月を残して30年売却する。
 監視役との恋愛発展がある。
 余命3ヶ月間は安全の為に監視されるが、3日前になると諦めて犯罪に繋がりにくいために開放される。
 最終的に人気者になる。
この情報を持って読み始めた。

この作品を読んでいくに当たって自分も寿命売りてぇって思っていました。
何せ自分も同じような味のしない日々を淡々とこなしているし、それでなくても最終的な着地は同じ考えで、名声があれど自身がいないなら大層意味を持たない。と感じるため。
自身は余命宣告をされることを夢と掲げて居たくらいだし、むしろ死ぬ地点がわかるのは完全に勝利枠だと思っている。
残金気にせずに生活できるし、好き勝手 • 身勝手な生き方が出来ると思うから。
ただ、かと言って3ヶ月間の間にやりたいことって思ったよりないなぁと主人公が思ったのは同意見で、結局死んで終わる以上になにかをしたところで大層効果がないと思ってしまうから、別に余程の会いたい人もいないし。
自分だってとち狂ってなのか監視員とめちゃめちゃお話すると思うし、他人にどう思われようと知ったこっちゃないし、なお一層死ぬのでどうでもいい。
その振る舞いの結果に好意に発展すると言うところがあるが、同じスタンスをとるとは思っている。
私の方が絶対過剰なんで嫌がられのリスクは莫大ですけど。
そして、最終的には有名人として知名度を獲得して、自分が大切に思った。最後に一緒に居てくれた。という事で恩返しを試みる訳だけど。
それをとても素晴らしく感動した。
確かに自分も最終的に死ぬことが判明していて3ヶ月の猶予があるなら他人にお金なんかをばらまくと思う。
川には撒きませんけど。
そして最終的に監視員の背景を元に半額に相当する借金を3日を残して売却することで返済し、3日間の孤独を経た。という流れになるのだが、この本のテーマが難しいな。と感じた。
主人公は売ったことで得た幸福の話をしていて。
小話では売らない幸福の話をしてる。

親:自分みたいな底辺な人間では価値がつかないだろう。
本屋:いいや、これは未来の話だ。キミの人生には価値がある。
親:そうとなれば尚更売らないな。
それは未来が明るい。幸せという事だからね。
なお一層手放す訳にはいかないな、
本屋:正解だ。

という小話が含まれている。
これは主人公とは別の答えを提示し、それに対して主人公には言わなかった正解。という話を本屋はしてる。
人生を売却し、リミットを把握していることで生きていることに価値や希少性を含ませた主人公。
人生は売却せずに今ある幸福を見つけようとする現実的な父親。
そして、双方自分は理解できる上で、自分なら売る。
そこには続けることで得られる幸福は別にいらないと思っていることから準ずる。
これから先がずっと右肩上がりの幸福な人生だとしても売る。
それは自分が人生に意味や価値を付けられないことに由来すると考えてる。
それはさておき、この本を読むことで一曲が頭を巡った。
「林檎売りの泡沫少女」だ。

林檎売りの泡沫少女はリンゴを食べると生き返る死の世界の話。
そこには死体が生活していた。
さまよう死体達はりんごの価値を知っている。
生き返れば死を経験するし、辛いことが待ってる。
そう捉えてる死人は誰もリンゴを食べやしない。
可哀想な奴だ。あいつはまた死ぬんだ。ここへ再び戻れるかも分からないのに。と嘲笑う人々。
そこに男の子が現れてリンゴを食べる。
たとえ明日死んでも今が確かで大切な意味を持つ時間になる。と、言った事を二人で考えながら笑って死を迎える瞬間を受け入れる。
そんな一曲。
どうしても同じような生存する世界を大切に感じている。
ただいつかは必ず死ぬことを理解しつつも考えずに生活してる人々。
いわば、生を意識して生を受けいれて死に向き合う人。
死を意識して死を受けいれて生に向き合う人。
その差なんではないか。と私は考えた。
つまり、この本では生に対する意識改革や意識向上の起点となる本なのではないか。と考えた。
自身もよく陥るが、明日があるとなんとなく理解していて明日が来なきゃいいのにな。という思考に至る。
そこには楽観的な考えが存在しているし、大して重みなんてない。
ても、環境下によっては時間の捉え方は変わる。
明日が来て嬉しいと思う気持ちは元よりないが、生存していることが【一般的に】価値のあるものであるとは認識している。
中学生の頃はクラスと言っても30人。4クラスでざっと120人、その上三学年で360人。
それがせっせこ毎日なんやかんやで無事に生活してる今日ってすごい奇跡的な日だよな。って自分は思っていたが、今やその感覚など大層ないが、毎日という日々にどれ程の危険性が存在していて突発的に居なくなることがあることをどれほど認識できるのかということで意味や重みや価値が変化する。ということは痛いほど理解している。
誰かが生きたかった明日だから。とか抜かすような ふざけた人間には今でも嫌いで大層反吐が出るが、意味合いは理解している。
他人がどうなろうが自分にすら大して興味ない自分にしては気にかける親切心は微塵もないが、死ぬことを完全なる意味で受け入れ、強く意識して生きることで大きな価値を生み出せるというのはとても感動的でその生き方を羨ましいとさえ感じた。
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