「購入したものはどう処分しても自由」なのに、私たちは「それでも残すなら大盛りを頼むべきではない」と確信する人が多いのではなかろうか。なぜ?

よつき

もー
でも、私はそんな人と人生で関わりたくない。
米一粒から作るまで人の苦労があるから
人の苦労をあえて無駄にする行動は嫌いだから。

愛善院
店での喫食であれば「残飯を処分する」のは店よな?
自分で創ったものを、自分で処分させるという虚無労働を導いていることに対して、近年気づかなくなっている人が増えていのかねぇ。

Kei

ゆい
全てのものに魂が有る(八百万の神)理論が特に日本で信じられているのが元になってんじゃないのかな
後は作った人に対しても残すのは失礼なんじゃないか、と思う所ですかね

くち
「お金を払ってるんだから勿体無くない」という人たちが「お金を払ってるんだから学校で子供にいただきますと言わせるな」とか言い出すのかな🤔
事実食べきれずに残す事が解ってるなら大盛りは頼まない方がいい。という至極単純な話であると思う…

憂い顔の騎士
ティリル
「商品」を「人間」に置き換えてみましょう。
戦争になり兵士として多くの国民が徴収されました。でも使い切れなかったので爆死してもらいました。
国の物である兵士はどう処分したって自由ですが「有限」で「他に有効活用が可能」なので他の人は反感を覚えます。
(哲学的命題なので命の倫理観などは無いものとします)
このように所有物だとしても扱いには批判が生じる場合があるのです。
「自分だったらもっと上手に扱えるから無駄にするのはやめろ」という感情も含まれているでしょう。
全ては地球の所有物![ほっとする]

あーみっく
やまと
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