あまり考えたこと無かったけど挨拶って「人間らしさ」かなって思うわけですよ動物はご飯食べる時「いただきます」「ご馳走様」言わないし自分以外の相手に「ありがとう」も「ごめんね」も言わないでしょ?割と社会的な挨拶ばかり想像するけど↑も挨拶なわけで自身の感情とか意思を言葉にして伝えるのって「人間らしさ」だなって思うだからせっかく言葉が使える人間って生物なんだから挨拶はしようぜ!!ってな答えでどう?
コミュニケーションにおいて「あなたに対する害意はありません」という表明であり「あなたの知る世界に私を加えてください」とするのが挨拶です。害意がもとよりなく、誰かの世界に属そうと思わないので、特に大切だと思いません。
心理学と日本固有の文化から考えて挨拶は「敵意がない」という最小単位の合意人間社会では、出会い頭の他者は本能的に「敵か味方か」判別されます。挨拶はその瞬間に、私はあなたに害を与えませんというシグナルを、最も低コストで送る行為です。言葉を発し、視線を合わせることで警戒が解除され、人間関係のスタートラインに立てます。挨拶は社会の「潤滑油」ともなり得る挨拶の有無は、その人の能力よりも早く評価されます。なぜなら挨拶は、立場、年齢、成果に関係なくできる最低限の社会参加行為だからです。挨拶があるだけで、仕事の依頼が通りやすくなるミスが許容されやすくなる衝突が減る結果組織の摩擦が減少します。あと日本固有のお辞儀について触れたいと思います。お辞儀の本質=「無防備の提示」お辞儀は単なる礼儀作法ではありません。首を下げる行為は本来、急所をさらす=攻撃の意思がないある落語家が言っておりましたが必要ならいつでも首をとって構いませんという強い意思表示とのことという非常に強い非言語メッセージです。つまりお辞儀は、謝罪、感謝、依頼において、言葉以上に誠意を物理的に示す行為なのです。なぜ日本ではお辞儀が発達したのか日本社会は歴史的に、村社会、身分差、閉鎖的コミュニティの中で生きてきました。その中で、言葉より先に敵意のなさを示す動作が極めて重要だった。その結果、お辞儀の角度、タイミング、長さが細分化され、社会的文法として定着しました。最近他の国の人たちによる日本のお辞儀についての解説がかなりありちょっと違った使い方がなされる場合もあり触れてみました。
挨拶は内容ではなく、有無が重要である。あるかないかで外っつらが判断できる。なければ無愛想で礼儀知らずと判断される。あれば最低限マナーがあると思わせることは出来る。そして、声の大小で細かく印象が変わる。大きければ元気な印象、快活な印象など、小さければ覇気がなく慎ましい印象を与えるだろう。前者の方が社会人の印象づけとしてはポイント高いのかもしれない。好みは千差万別だが。