【教育哲学】多様性の「主張」は自然人としての希求であるか、社会制度の歪みであるか。
多様性そのものではなく、多様性の「主張をする行為そのもの」が持つ質はどちらでしょう

マキ

正宗(ろー)
・多様性の表層しか理解していない人が多。
・多様性を前提とした社会設計(教育)が必要
・社会的包摂を軸とする北欧はこの分野で先進的
■説明
多様性→『存在を肯定』するための理論であって、『共存』のための理論とは異なる。
しかし、多様性を共存のための理論や仕組みだと勘違いする人が一定数いる。
『私はLGBTQだから、自認性のトイレや銭湯を使えるべきだ!』だと、多様性を大義名分に権利濫用しているのと同じ。
『共存』は他者への配慮、思いやり、肯定と尊重、理解し合うための努力、価値観の溝を埋めるためのスキルでなされる。

かずら
「口」で主張するのでは無く「存在」で主張出来るようになりたいですね。
ただ、先にこのように口(言語)を使う僕は、どちらかと言うと社会制度の歪み側なんだろうなと思ふ。

シトー@修行者
多様性になろうとする考え事態、本末転倒よ。

💎かず🐺 ࿐❀
ただし、そこには理念がなければならない、理念なしの主張は子供のワガママとなんらかわらない
とかろう
多様性というのは強制した時点で
多様性にならない

てす人
故に社会性があるなら自然に人が持つ欲求かと。
またこの場合の社会制度の歪みとは少数派が不満を持つこと、もしくは少数派の不満の発言を許すことの2つに分類されると思うが、前者はまぁ無理なのかなと。人間どんな環境でも文句は出るし。
後者はまず社会とは、差異を許容し大多数が相互監視と補助をすることで差異のない集まりより人数が確保出来るという利点で成り立っているため少数派の意見を消すことは難しいと思う。

サリンジャー

紀文屋

のぶちゃん🍅
生き抜く術みたいなものかもな
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