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【教育哲学】多様性の「主張」は自然人としての希求であるか、社会制度の歪みであるか。【教育哲学】多様性の「主張」は自然人としての希求であるか、社会制度の歪みであるか。

回答数 13>>

少数派が少数であるが故に不平不満を持つなら、その解決を求めることは多様性の主張になると思う。
故に社会性があるなら自然に人が持つ欲求かと。

またこの場合の社会制度の歪みとは少数派が不満を持つこと、もしくは少数派の不満の発言を許すことの2つに分類されると思うが、前者はまぁ無理なのかなと。人間どんな環境でも文句は出るし。

後者はまず社会とは、差異を許容し大多数が相互監視と補助をすることで差異のない集まりより人数が確保出来るという利点で成り立っているため少数派の意見を消すことは難しいと思う。
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コメント

てす人

てす人 投稿者

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それはどっちも同じだと思います。「社会制度に歪まされた個人」がいてもそれを生み出す社会は「歪んでいる社会制度」と言えるでしょうし、どっちを基準と見るかだけかと。 そして基準とする絶対的なものは自然状態の個人を見るべきかなと思い、人の苦しみはどんな状態でも発生するだろうとしてあのような回答になりました。

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少数派が少数であるが故に不平不満を持つなら、その解決を求めることは多様性の主張になると思う。