あらゆる疑問に哲学性は宿るか?

ニョッキNo.Ⅱ

憂い顔の騎士
例えば、生理的現象に哲学性を見いだせるか?

BEVEL(べヴェル

愛善院

茄子兄さん

オルズベック

ロング

takuya
ティリル
そもそもこの文章が読めて理解できていること自体哲学的に考えたらよくわからないし。

めいか
他の方の回答も参考にさせて頂きつつ、回答します。
私個人の意見としては、「そこに哲学性を見出そうとする者がいる限り、それが生理現象であっても、はいといいえで答えられるものであっても、哲学性が存在する」と言えます。
ただし【それを思考する自分自身そのものが存在していないと仮定するのなら】「認識している物事も、哲学性すらも、そもそも存在していない」という回答になりますね。
つまり哲学とは、「存在することを前提とする学問」なのです。
ではそもそも「哲学性とは物側に宿るのか、それとも人側に宿るのか?」でも考えてみると、
私の考え方は後者の「人側に宿る」と考えている立場になります。
例えば「物はそこに物体として必ず存在している!」と私たちは考えるわけですが、
それを認識するには、実際にはそれを観察できる【何らかの主体】が存在しなければ、物そのものには意味は無く、存在すらできない、と私は考えています。
なので「物をそこにあると認識した時点」で、
「私たちは物に対して、何かしらの意味を見出している」のです。
また生きている時点で、生きるために、それが本能であれ、何らかの思考プロセスを持っているはずです。
仮に植物や動物にも“感受性”があるのなら、それらもまた【哲学性を持つ主体である】とも考えられるからです。
そのことからも、思考するという行為自体も、人間だけの特権ではないと私は考えています。
結論として私は【認識できる主体が存在し、物を認識するという行為が起こった瞬間に、そこに哲学性が発生する】と考えます。
ーー哲学とは、世界をどう見るかという行為そのものなのです。
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