あらゆる疑問に哲学性は宿るか?

ニョッキNo.Ⅱ

正宗(ろー)
350mlのビール缶だって、
♦︎なぜ円柱なのか?
♦︎なぜ底が内側に凹んでいるのか?
♦︎なぜアルミなのか?
♦︎なぜ350mlなのか?
♦︎なぜ銀色なのか?
♦︎なぜパーケージがしてあるのか?
♦︎なぜ自分は缶ビールを買ったのか?
♦︎なぜ重さを感じるのか?
♦︎重さと感じている感覚は何なのか?
♦︎感覚とは何か?
♦︎感覚はいつ獲得するのか?
𝒆𝒕𝒄.
と、無限に深掘りできると思います。
思考が立ち上がり、その思考を使って本質を捉えようとする動きや、思考そのものを検証するような動きがあれば、これは哲学性を帯びると解します。
思考の対象ではなく、思考様式が哲学の本質の1つではないでしょうか。
思考の対象が哲学カテゴリーの何たらの場合は、思考様式に関係なく哲学性を帯びるともいえますが、対象と様式は区別されるものと考えます。
具体例を挙げると、
法は、法学の様式、社会学の様式、政治学の様式、哲学の様式で語れると思います。
♦︎法学の様式で語れば、基本的人権⇄公共の福祉とか、
♦︎社会学の様式で語れば、法の規範性が社会及び人に与える影響とか、
♦︎政治学の様式で語れば、統治のために必要な法案や政策とか、
♦︎哲学の様式で語れば、法とは何かとか。
右脳的な表現だと、
通常の思考は転がりを予測するイメージですが、哲学は内向きに落下するイメージがあります。
無限に落下し続けてしまうから、エンドレスになってしまうんだと思います。

憂い顔の騎士
例えば、生理的現象に哲学性を見いだせるか?

BEVEL(べヴェル

ハウ

愛善院

もか
背理法みたいに、あらゆることを本当に真かどうか疑うことから始まるだと思う。

茄子兄さん

オルズベック

ロング
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