哲学の用い方について
ややもすると一般的なSNSコミュニティにおいて、哲学は、本来の“結論に至るための過程の探求とその思考を求める場”とは逆行し、“権威に担保された都合のいい結果を求める場”になりがちです。
アカデミックな場では無いこの様なコミュニティにおいて、認知負荷が高まってしまうことは承知していますが、哲学の本質は結果を求めるものではなく、思考すること、またその論理的軌跡を言語化することにあるのではないでしょうか。
(例えば、倫理学者のピーター・シンガーが、倫理学の主眼は、結果としての幸福ではなく幸福を目指して思考し続けることにある、とするように。)
つまりこの様な場では質問やお悩みに対して、回答のみをするのではなく、質問者(あるいは同じ疑問を持っている人)の思考の補助をするような回答(例えば回答者の主張を裏付けする思想や哲学者、著書を併記して質問者にサジェストするなど)が望ましいのでないでしょうか?
※気軽な質問や自由な発言を批判するものではありません。そういった質問はコミュニティの活性化に不可欠なものです。その上で、どうせ哲学という一学問を冠するのであれば、**みんなで哲学しようぜ!どう?**という質問です✨

まつげ
哲学とは学問だけではなく、経験から作られた人生観のことも指します。
このようなアプリにおいては、そちらの意味で価値観の交換を楽しむ方が多いような気がします[穏やか]
ちなみに、学問としての哲学の面白さを否定するものではありません!

愛善院
真に思考開示が必要ならば、自身が積極的に「対話」を挑む必要があるし、少なくともこうした人数過多になったコミュニティにおいては対話による充足を目標とはできない。
結果的に「ひとことで誰もが納得感を持たせられるもの」という、いわゆる常識の最大公約数を百万遍するものになりがちだ。
どうせ質問者からみた回答は「他者の思考のなれのはての消耗品」にしかすぎない、という態度のものすらある。

憂い顔の騎士

ゆう

小鳥遊百舌鳥尾
皆さんは上記についてどうお考えでしょうか?
私は最早障害者は愚か、哲学そのものまでバカにされているように感じました。

チェンタイラン

🇯🇵にこ
---クッション---
そういうのしか求めてないんだったらグループチャットかDM、コメントで特定の人を見つけて話せばいいと思う。
SNSの投稿(その他大勢)を高め合う目的で使うのはあまりにもザルすぎるし、精神論にしかならない。
「何も知らないけど哲学っぽいことを考えることが好き、なんならそれっぽいことを喋りに来てるだけ」を許容しないのは選民思想的なんだ
選民思想が一概に悪いわけではなく、場所や範囲を限定することで実用性が出てくるんだよね
特にGravityは他のSNSよりも安らぎや許容することを目的としてるから、オープンな場の許容は参加へのハードルの高さではなく、どんな存在も発言も許される(明らかな攻撃以外)に収束していくんだよね
だから、ここまで書いたけどこんなオープンな場で一個人の意見を押し付けてしまってごめんね。
ソースもない

マルコ・アモレッティ
「そういう思考のきらいがある人」が集まってブツブツ言ってる場所がここだし、それこそ学問として哲学がしたいなら、適切な解答を導き出すためにインプットとアウトプットの渦の中にいるべきだろう
所詮ここは自己にとって都合のいい理屈を見つけた猿か、自分で考えることのできないナメクジしかいないだろ
今まさに哲学徒と言える人物がいたら、こんなとこすごい顔で見て早々に走り去ると思うが

J
哲学は知を愛する事が始まりなので、引用より自身で考えられた意見のほうが高度だと考えます。

ツルてか
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