無償の愛は存在するか?

kazu
無償だから愛なんだ

没壱 ヤモオ
一般的には「見返りを求めない愛」なってる。
言い方を変えれば、「償いの無い愛」になる。
「償い」とは?
賠償 や 弁償 何かしらの過ちの行為の時の代償に多く使われる言葉。
即ち、「過ちの行為が無い愛」になる。
これが「見返りの無い愛」の正体。
仏教で言う所の「慈悲の心」と言う事になる。
無償の愛は存在するか?と、言われるとちょっと考えてしまうけど、「慈悲の心」は存在するか?だと答えやすくなると思う。
無償の愛=慈悲の心
自分の答えは「存在する」です。

みい
我が子にしか向かない感情がある。
親や兄弟やパートナーにさえ沸かない感情。
生きる意味みたいなもの。
ソラチ
言葉が存在するのだから
この地球上の誰かは
無償の愛を持っているのでしょう

コピ
K
あ、でも撫でとデレと感謝は貰ってますな。

エテ公
その後のプレミアム会員はサブスクです。

くりねずみ
愛は、特定の誰かとの取引ではなくて、内なる心の豊かさの発露だと思っています。
愛する対象が存在すること、そしてその対象を愛おしいと感じられる感受性や心の豊かさ、それ自体がすでに「報酬」であって、既に報いは受け取っています。これ以上を望むのは欲張りというものです。

伯爵
どこまでを「無償」とするかによります。
例えば私は「親の子に対する愛」は無償の愛とは思いません。子供はいっぱい親に愛を注ぎますし、親はそれを報酬とします。「育たず、甘えず、手と金ばかりかかる子供」に愛しさは継続し難いのではないか?とも思えるし、恐れるのです。
しかし例えば「無償」の範囲が「動機」に限定すれば、確かに存在すると思えます。
街行く中で、ご年配の方が倒れました。助ける人はいましたが、多くの人はゆき過ぎました。しかし行き過ぎるほとんどの人は、それぞれの事情があって「助けるタイミングを逃した」だけで、「助けたい」とは思うのだそうです。
その行為にだって見返りはあるのかも知れません。人から親切な人だ出来た人だと思われたい。助けることで満足を得たい。そんな気持ちを持つのは当然とも言え、やましいことではありません。
でも、たとえそうであったとしても「衝動的に」助ける道を思考すること、それ自体はやはり「無償の愛」なのです。
質問外となりますが。
受け取ったものを返す。それは人間関係において大切なポイントであり、それは「有償」だったとして、決して尊くないわけではありません。
「無償の愛」と「有償の愛」は、それぞれ性質を指すもので、優劣を示すものではないと、私はそう思います。

くずもち
報酬を「受け取る」のではなく「自身の心の中で発生させている」というのが「無償の愛」なのかなと思います。
「この人の喜ぶ姿を見ると、元気が出る」とか「この人に幸せでいてもらえたら、自分も幸せ」みたいな。
何も面白くないのに、何の得もないのに、他人に尽くし続けているというのは、愛ではなく、義務ですね。
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