「無知の知」は「なんじ自身を知れ」に対する閃きの一解であり重要ではあるが「なんじ自身を知れ」のほうが、より哲学的発端はあるのではなかろうか?

女好きの女
でもなんとなくニュアンスが違う気がする
うまく言えないが

ペリカン

み
ガー

くま
「己を知る」とは、自分の性格や能力を知るだけではありません。
自分が何を知っていて、
何を知らないのかを知ることも含まれます。
人が知っていることには限りがあります。
それに対して、
知らないことは数え切れないほどあります。
だから、自分を深く知ろうとすればするほど、「自分は知らないことのほうが、はるかに多い」と気づくことになります。
つまり、「己を知る」ことを突き詰めていくと、自然に「自分の無知を知る」ことへたどり着きます。
完全に同じ意味ではありませんが、
深く考えれば考えるほど、
この二つは限りなく同じものに近づいていくのだと思います。

y
「無知の知」はその問いに向き合い続けた結果として得られる姿勢なのかなーと。
自分を知ろうとすればするほど、自分が知らないことにも気づく。
そして「知らない」と気づくことで、また自分を知ろうとする。
どちらがより根源的というより、循環しているように感じます[照れる]

ギゼン

サト
「無知の知」は「汝自身を知れ」に対する有効手札
と捉えるかな
「汝自身を知れ」
それは可能なの?
知った気になるだけでは?
どのように知れば?
なんじゃないかな
たぶん

3210

コパ🔍
まさしく俺のことやないか〜🤣
こんなにピッタリな言葉をくれてありがとう🤲
なるほどな〜
そういう意味やったんか〜
閃いた💡
無知こそが真の知
無知の中からしか知は生まれない
人は知らないことから知ろうとする
それこそが人の知
言語を持つ存在としての命題
この瞬間にも無知から知が生まれている
まさしく
無知の知なり!🤣
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