哲学史や諸学に一切触れず哲学をする人をどう思いますか?そもそもその考えただけのものに哲学と呼ぶ必要があるのですか?

愛善院
別にどのように呼んだところで「その人が」必要だと思えばそれだけのことではないかね。
相対する哲学的対話をする者が「それは哲学ではない、哲学的ではない」とするのは、どちらかといえば「利便性の解」で考えたほうが早い。
共通認識として「哲学」というものは【ここからここまで】だから、あなたのやっているものは哲学と呼ぶことでノイズだ、ということはままある。
ノイズだから必要ではない、というわけではないからな。

東久留米の星

愛善院
数学で
公式を知っていたから早く完璧に解けたぜ、という努力と、公式は知らなかったけどこういう法則がありそうだから自分なりに解けたぜ、という工夫、私はどっちも好ましく思うのだよねぇ。
マニュアルに従わなければならない命にかかわる現場とかだと発想力だけで勝負していたら危なくてしかたないのだけれども。

J

メリー
Tatz

ナトル
イメージで言えば 新しいアイディアを作るために何の資料もう調べずにアイディアを出すようなもので そういうのは完成した直後に前の古いアイディアと被っていたり 本末転倒 だったりしてものにならないことが多いのと同じで
哲学に触れないと その道理の不偏的な部分、共通する部分、結論が出てる部分を理解することができないため やはり 役に立たないものになると思う
私はよく 中国思想のお話の本を読んだりしますが 孔子や荘子や老子とかも必ずて言っていいくらい過去のデータや歴史を例え話に出したりしてこういう考えがあるんだけどあなたはどう思いますか みたいな流れで 哲学を完成していたんだと思うからです

藤

ヤカ
人生をより良く生きるために考える営みを哲学と呼ぶならば、彼は哲学をしていると思うのですが、どうでしょうか?

ほだけ
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