「日本語は人類言語の最高到達点である」という(偽証された)言説について、あなたの意見をください。
MK84

フレム・チェンバース

サン
日本は母音語 外国は子音語が多数なのは有名
ですが、文法の性質も全く逆になっています
そして子音語は自己と他者を
分けたがる性質をもっています
I love you 私 事象 他者
ですが日本語はひとつにま泊まろうとします
愛してる
このように全く逆の性質の言語をどっちが
優位か、などと比べる以前の問題なのです
寿司か 焼肉 どっちが美味しいかと同レベルだと
思います。 結論パイナップルが1番です

コーユー
私は、言語の最高到達点とは「理解する時間の最短化」だと考えています。
言語は現実をそのまま写すものではありません。言葉にした時点で、現実は必ず抽象化され、一部の情報は削ぎ落とされます。
その代わり、言語には複数の経験や感覚を一つの「概念」として束ね、相手と共有できる力があります。
だから、大切なのは情報量の多さではなく、どれだけ短時間で、正確に相手と理解し合えるかではないでしょうか。
言葉が増えることや表現が豊かになることも、その目的は「理解を速くすること」のため。
私は、それこそが言語の進化であり、最高到達点の指標だと考えています。

セナ
ニッチな尺度になりそうだけど

けい
だから誰も理解できないんですね
ソマリンゴ🦎
建国から数千年。
多少(大幅に変わってるのもありますがw)意味の変わり方や言い方の違い、方言での違い。もありますが。
根本的な感じは変わってない部分で凄いなと。
でも、各地の方言とか考えると、まだまだ研究が足りてないのでは?と感じます(´・ω・`)

かふぇおーれ

カズ
音自体が意味を持つ言語である
そこに思考を深める秘訣がある
空気によって意図を伝えられる言語である
言わなくても考えが伝わる
言っていない言葉を読み取れる
お互いの思考を言葉にせずに共有出来る言語
それが日本語である
言葉の間
同音異義語
概念を現す言語
それが日本語である
心を繋ぐ言語
それが日本語である
読み取る力があればの話ではあるが

an
(もし設問の意図から外れてたらすみません)
素朴な意見で恐縮ですが、私は不可能だと思いました。もっといえば、例え日本語でも日本語以外の言語でも、それを立証しようとする時矛盾が生じるのではないでしょうか?
例えば、「日本語は人類言語の最高到達点である」という主張がなされた時、この主張は日本語でなされることになります。しかしそれは、「私は嘘つきだ」という主張が矛盾を引き起こすという、いわゆる自己矛盾の問題を引き起こします。ゆえに当の主張は日本語では成立しません。
反対に、例えば当の主張が他の言語Aでなされたとします。しかしこの場合、その言語Aという言語体系は日本語を評価できるのでしょうか。もし評価できるとすると、言語Aは日本語のあらゆる言語表現を評価できることが前提されます。そして言語Aは、日本語を評価する表現を持つ点で、日本語より優れていることになります。つまりその場合、当の主張は誤りであることになります(言語Aの方が日本語より優れているため)。
とはいえ、では「言語Aが人類言語の〜」という主張が成り立つかと言えば、これはただ問題を振り出しに戻すだけになり、やっぱり成立しません。
以上の理由から、「日本語は人類言語の最高到達点である」という主張は成り立たないように思います。いかがでしょうか🙇
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