『価値』と『忖度』と『実力』
正直ブランド力のお陰だなとかこれそんなに高い評価かな?とか本心疑惑に思ってても、世論がそうだからとか、中々不思議に感じた事ありますか?

J ♂️

mch
と言うことを理解していれば使い分けで上手く行く事もあると思っています

comesunday
消費者の購入判断が商品の「実力」に基づくことは稀なはず。だからこそ、ブランド・マーケティングのコンサル業がこれほどの規模の産業となり得ている。購入者の「忖度」が行われる場合もあるが、それをしなかったとしても大抵は購入判断結果が変わるわけではなく、単に判断に時間がかかるようになるだけ。
だからこそ「実力」、つまり、「見せかけの力」「有効には働かないが名目上はラベルとしてだけ人々のコミュニケーション上で言及される力」ではない、商品の「価値」を発揮する本当の力という概念が出てくる。
「忖度」は、某「政治疑惑」で使われて以来、嘘と知りながら黙認して同意したことにしてそれが明確な嘘にならないように帳尻を合わせる行動をとることのような印象の言葉になったが、本来は単に他人の心象などを推し量ることで、購入判断についての文脈では、商品に対する他の人の価値判断または購入判断を推し量っていることになる。
なぜそうするかというと、単に、購入前には、商品の価値を知りようがないから。購入して自分の立場で所有して(使用して、鑑賞して、周知して、etc.)みないと、実際の価値はわからない。分かりやすい例として、封切りされたばかりの新しい映画は観たことがなくて面白いかどうか判断しようがないのに料金を払って映画館に入るのはなぜか、その時に何の情報を確認し、どう考えて判断するかを考えてみるといい。
昔から、これがPRマーケティングやブランドマーケティングの根源的な動機で、これをやらないと世の中の多くの商品が全く売れなくなるだろう。
購入しないと価値(を生み出す「実力」)を知りようがない前提で、それでも購入前に判断させて買わせるのがPRやブランドのマーケティングの仕事。もちろん、購入前に工場まで行って製法や品質を確認してからでないと判断しないというやり方もあるが、そんな面倒なことをする購入者はほとんどいない。
つまり、購入における「忖度」は、購入判断に必要な「実力」に関する情報を、購入前の段階で十分に確認するのは困難で面倒だから、他の人が判断してそうな内容を「忖度」して判断材料の代用にしているだけのこと。多くの場合、購入者はそうするしかない。
くまのプーちん
この場合ブランドものとしての「価値」と革製品としての「実力」、そして実態を薄々知りながらもブランドものだからとありがたがってみせる「忖度」 の議論になる。
でもブランドものとしての「価値」は、元はと言えば昔の腕利きのイタリア職人たちによる品質とデザインによって立脚していたはず。しかし今では、デザインはともかく品質ではもう中国の職人に劣るという。
なのでこの場合、ブランドものとしての「価値」とは「実力」によって形成された「評判」であり、実力の劣化によって実態を失った「評判」こそが「忖度」ということになりそう。
他の例に適用できる理屈かはわからない。
ていそん
無敵のエンペラータイムに

ジョン・ブル
そこの空疎な「価値」には、忖度もあるかもだけど。
実力なんて、実力を「価値」付けした結果に過ぎないから。
なので、貴方は貴方が「価値があると思う」ものを信じていいと思う。
例え人からなんと言われても、「私が価値があると思う」ことに価値があると思う。

星のガーネット
忖度→他力の本人の姿
実力→人からは見えない本人の力


ヤニカス
事例を引いてみます。
1950年代のアメリカで、ネスカフェのインスタントコーヒーは味(内在する価値)に落ち度がないのにも関わらず売れていませんでした。
しかし、購買層である主婦たちからは「味が悪い」という評価をされていたそうです。
調べてみると「インスタントコーヒーは手抜きだ」「手間をかけた方がいいに決まっている」という価値観(外在する価値)が味の評価さえ歪めてしまっていたそうです。
要するに、価値の内外は互いに影響し合っていると言えるかもしれません。
人間の認知って、いい加減ですよねえ。

ろばぁと
忖度は流されるもの
実力は培うもの
培われた実力は周囲に対する価値を高め、その大きさが忖度の巻き込む大きさになっていく。
巻き込む力が広く薄いものもあれば狭く濃いものもある。
あとはその時の運

たたみ
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