紀元前5世紀にも文化既に文化コミュニティはあるのに
『旧約聖書』やキリストの誕生はそれから5000年後になるよね。我々の時代から5000年後に『人間は神が造った』『キリストは神』とかって話したら信じますかね?iPhoneからモールス信号が主流になる様なものじゃないですかね?皆さん、不自然に思いませんか?

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現代の人の感覚とは全く違うので、今の人は信じられないだろうとおもってても、その時代の人の感覚では信じれることだったのではないでしょうか。
確実に人間のなかで淘汰されています。それでも多くの人が陰謀論や占い、ゴシップに踊らされてます。
淘汰される前の昔はそういう人の方がほとんどのだったのでしょう。
てか陰謀論とか占いってやばいよねっていう風潮なかったら貴方も信じてたかもしれませんよ。多分多くの人が鵜呑みにするでしょう。自分でできるだけ考えるをしてるようでしてない人は多いと思います。コピペ考えを疲労してる人とか。

マキ
ガワ

ツルてか

ケン

コバンざめ

くろ
紀元の数え方やキリスト教より古い宗教は?という疑問もあるけれど、根本的にこの問いが立脚している前提にはちょっと無理があり、それで不自然に見えているだけです。
前提① 人類の文化が共有されているという想定
現在のように交通・通信技術があるわけではないので、紀元前後は世界各地に多様な文化や信仰がありました。それらを一つの流れで説明すること自体無理があります
前提② 文化の発達⇒宗教の衰退という前提
複雑な宗教体系や制度は寧ろ文化やコミュニティの成熟によってはじめて可能になるものです。
前提③ 宗教=宇宙観は既に衰退という前提
宗教の例として挙げられるのがいずれも、世界の在り方の捉え方ーーこれを世界観や宇宙観(コスモロジー)といいますが、それだけが宗教ではありません。「隣人を愛せよ」などの道徳的な教義や、礼拝などの信仰実践を論の外においてしまっています。日本人はよく無宗教と言われるけれど、僕らは除夜の鐘をついたり、初詣しておみくじをひいたりと、実は宗教的実践を結構してるんですよね。
と、以上の前提を捉え直してみると、納得いくと思います。

ハンプティダンプティ
しかも紀元前5世紀ならもうすでに旧約聖書出てます
旧約聖書や新約聖書が出る前にすでに古代人の文化遺産や信仰があったにも関わらず突然世界がこれらのもの中心にぬりかえられるというのはおかしくね?って質問でよろしい?
で、それらのぬりかえは、スマホからモールス信号に変わるように当時の人にとっては退化したあるいはトンチンカンな考え方だったのではなかろうか?って話だよね?
島国に突然宣教師がきてこれらの信仰に島国全体が変わって行くのは500年ぐらいあれば最初はあれでも不思議ではないんじゃないかなぁ
日本は失敗しましたけどね

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ヤスガー
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