自我は断続的(デジタル)?連続的(アナログ)?
直感では連続的に感じます。ですが自我は言語によってしか知覚できないため、言語化できる思考のみが自我と考えます。言語が断続的である以上自我も断続的かと考えます。

ちお

サイダー
実はデジタルをデジタルに変換してるだけなのだという発想は斬新だと思うけど。

愛善院
どれだけ語彙が多くても「言葉にできない©小田和正」というラベリングされていない感情や欲求は多く存在しているため、ジェットコースターのレールのようなものと思っています。登るときはチェーン式にデジタルでオンオフしているようにも知覚できるといったところではないかと。

マルボロマン

月の熊

伯爵
例えばこの前提だと「動物は自我を持たない」ことになってしまいます。(この返答では動物に言語はないという前提ですが)
海に転落したとして、あなたは船にしがみつきました。この時瞬間には「呼吸をしたい」「助かりたい」「海冷てぇ!」などは、いちいち言語化されません(されないよね?)。ここに“自我”は存在しませんか?
思考を言語化するのは、多くの人がそうであっても、思考感覚の違う人は確かにいます。天才的な数学者は数字に色がついている。なんて話を聞きます。恐らくこの数学者は、この数字が何色であるか?を言語化していません。
また「デジタルか?アナログか?」と二元的に限定してますが、自我はもっと複雑ではないか?と考えます。
恐らくは多層的で、例えば環境によって層を変えるのかもしれません。その層もある層では断続的、ある層では連続的かも知れません。
如何にも哲学者が好みそうな回答ですが、私には「自我を観測しようとしている時点で、すでに自我は変容している」可能性を感じます。
写真を撮られる。と分かっていたら、自我もポーズを決めそうです。自然な自我を、自我からは観測し難いように思えるのです。
つまりは「知覚し得ない連続的な部分も含めて自我」ではないか?と考えます。

わたんべ多雨
【睡眠】で断絶されるので
寝る前の自分と起きた自分は別物だと何かで読んだ気がします。
個人的にはアナログな方が嬉しいですけどね。

ニックX🐦🔥




ユルルー
時間は連続的だ。決して断続的ではない。
ならば、自然由来のあらゆる現象は連続的なのだ。度重なる無限の変化の連なりなのだ。
死んだ後の自我がどうなるのかは死んでみなければ知る由もないが、一つだけ言えるとしたら、自我は決して、睡眠や脳に障害などでも持たない限りは、途切れることは絶対にない。

もけけのす
ところで、アナログな情報伝達とデジタルな情報伝達にはそれぞれどんな差異があり得るでしょうか?デジタルな情報伝達においては、「ゼロ」は0、「121」は「121」として明確に発信され受信、出力されます。しかし、アナログな情報伝達においてはそうなりません。黎明期のコンピュータは実はアナログで情報を伝達しており、5という情報を「5mA」という電流で伝えようとしていました。(電圧だったかも)いや、デジタルじゃねぇの、となるかもしれませんが、実際の伝達においては自然現象なので5.3mAや4.9mAになっており、出力にはブレが生じてしまっていたのです。計算が複雑に慣れば尚更。そういったこともあり、現在のコンピュータはデジタルになったのです。
さて、言語の話に戻ると、確かに言語そのものはデジタルですが、我々という存在を介したときに「ブレ」が生じることはしばしばではないでしょうか。短文であれば問題ありませんが、複雑な文章や主張であれば、解釈がすれ違うこともよく見かけます。経典宗教の解釈論争などをみてもよくわかります。それ即ち、言語がデジタルであっても我々がアナログであることを示唆しており、言語がデジタルであることは、それによって知覚、説明される(個人的にはそこも疑問ですが)自我が、デジタルであることを保証するものではないと考えます。
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