全ての人と分かり合うことは可能か?その場合、どうすれば良いのか?orそれは不可能か?その場合、なぜか?
ここでいう「全ての人」は、何かしら「自分」と関わりのある人物全員のことです。生涯知ることも会うことも話すこともないような人は含みません。

えふ
分かり合う をどのレベルに置くかにも寄りますが
相手のことを「分かる」
自分のことを「分かってもらう」のは
全てに対し可能といえます
「意見や価値観が違うから」
「争いが起こる起こらない」
というのはこの質問とは別の話で、同じ価値観に上書きしたり、共鳴する必要はここにない
嫌悪したとしても、考えが違うとしても「分かる、理解はできる」はその人の姿勢次第で全て不可能とはいえないと思います

ユウタ

からあげ菩薩
例えばコロナワクチンを打つ人と打たない人がいる。もしもコロナワクチンが悪い物だった場合は打たない人が生き残るし、必要な物だった場合は打った人が生き残る。こうして意見が割れることで人類の全滅を防いでいる。つまり全員が同じ方向を向くことは危険性もあるということ。家族や恋人、友人とすらもケンカをしてしまうのは自然なことと言える。

たれぱそ
芸術、スポーツ、ものづくりなどを介した方が人と分かり合える場合がある

もか
ただし、「一定条件下で部分的に分かり合うこと」は可能。
①:意味の理解
相手の言っている言葉の意味が分かる
②:意図の理解
なぜその言葉を選んだのかが分かる
③:内的経験の共有
相手が「どう感じているか」を
自分の内側でも再現できる
多くの人が無意識に求めているのは
③です。
理由①:人は同じ世界を見ていない
人は同じ出来事を見ても、
注意の向け方
価値づけ
感情反応
記憶への保存方法
が異なります。
理由②:言語は経験を完全に運べない
言葉は、
圧縮
省略
抽象化
された情報です。
特に感情・痛み・恐怖・愛着などは、
体験依存性が高く、翻訳不能な部分を必ず含みます。
理由③:人は「理解」より「自己防衛」を優先する
分かり合うためには、
自分の前提を疑う
誤っている可能性を受け入れる
不快な感情を通過する
必要があります。
しかし多くの場合、人は
理解よりも自己整合性を守る。
これは能力不足ではなく、
生存戦略です。
分かり合いが成立する最低条件
理解されない可能性を受け入れている
自分の前提を言語化できる
相手の前提を尊重できる
完全一致を目的にしていない
この条件が欠けた相手とは、
努力量に比例して消耗が増えます。
全ての人と分かり合うことは不可能である。
なぜなら、人は同じ世界を見ておらず、
言語は経験を完全に共有できず、
理解より自己防衛を優先する存在だからである。
ただし、条件を共有できる相手とは、
部分的で十分な理解が可能である。

のぼ
また『ありのまま』という捉え方もあります。
子供の時に良いも悪いもたくさん経験して、ありのままを知ってください。
ありのままに生き、相性を重視すれば
自身を責めず、他者も責めず
お互いに尊重し合えます。
もし誰も合う人がいない場合は
「本当に今の自分はありのまま?」
と問うてみてください。
必ず何かに巻き込まれていて自分を出せず、
その『何か』に人から避けられるような振る舞いを身につけさせられています。

あきら
分かり合いたいという思いがあることが大切であり、人はどこまでも不完全だから美しいのではないでしょうか
わかってもらえなくてもいい
ただわたしはあなたを知りたいから
もっとやさしくなりたい

みきや

るる
そもそも自分のことすら自分でわからないことばかりだし。
残念だけど、私たちは一生をかけてもたぶん分かり合えない。
けれど、だからこそ、それでも分かり合いたいと思い続けちゃうのが人間だと思うし、人間のそういうところが超愛しい。

ぬらぺっちょ
むしろ分かり合えない事で、互いに対立、協調、戦争、復興、諸々して全体は発展する。
もし全てが分かり合えて1つの共同体になってしまったら、環境変化にものすごく弱く滅びるよ。
多様性とはそうゆう事。
分かり合えない事を互いに分かり認める事
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