全ての人と分かり合うことは可能か?その場合、どうすれば良いのか?orそれは不可能か?その場合、なぜか?
ここでいう「全ての人」は、何かしら「自分」と関わりのある人物全員のことです。生涯知ることも会うことも話すこともないような人は含みません。

えふ
分かり合う をどのレベルに置くかにも寄りますが
相手のことを「分かる」
自分のことを「分かってもらう」のは
全てに対し可能といえます
「意見や価値観が違うから」
「争いが起こる起こらない」
というのはこの質問とは別の話で、同じ価値観に上書きしたり、共鳴する必要はここにない
嫌悪したとしても、考えが違うとしても「分かる、理解はできる」はその人の姿勢次第で全て不可能とはいえないと思います

ユウタ

たれぱそ
芸術、スポーツ、ものづくりなどを介した方が人と分かり合える場合がある

愛善院
人は違う。ゆえに分かる場合もある。が、わかり「あう」とかいう状態は常に何らかのズレと誤差がある。ほぼない、ということに尽きる。
これを何とか「あわせよう」とするときに、お金という共通言語を介してなんとかしようとできさえすればよい。

ぬらぺっちょ
むしろ分かり合えない事で、互いに対立、協調、戦争、復興、諸々して全体は発展する。
もし全てが分かり合えて1つの共同体になってしまったら、環境変化にものすごく弱く滅びるよ。
多様性とはそうゆう事。
分かり合えない事を互いに分かり認める事

てす人
まず感情、感覚は肉体に由来するため「共感」は全ての人とはできません。「共感」と「理解」は分けて考える必要があります。
感情を元にした思考の部分は言語によって行われるためその過程を他者に伝え相互理解を図ることは可能です。
理解に齟齬が生じる原因は、①感情と思考を分けられていない。②自尊心などで自身の感情の認識が間違っている。③使用した言葉の意味が二者の間で異なっている。などが挙げられます。

伯爵
回答。
可否:浅ければ可能
手段:共通の敵を作る(強烈な共通目標を作る)
理由:歴史的にみても、立証済みの手段だから
「全人類が理解し合う」なら宇宙人でも攻めてこない限り難しいとは思いますが、範囲を限定するのであれば、戦争なり宗教なりで共通意識を持てば「その事柄に関わることに限り」わかりあうことは可能です。
「7歳になったら小学校に行く」
実際に行くいかないに関わらず、その社会機構自体を“当たり前に”受け入れているだけでも「既にわかり合えている」とも言えるでしょう。
深度の解釈を広げた場合、こんな回答も出せます。
にくまん
理由、1人目でつまづいたから。

ゆう

ぐにゃり
もっとみる 




