我々は善く生きるべきでしょうか?

ちお
生きたいままで自由に

たまごろう
個人的な意見を言うなら、
人生終える前に「善く生きた」と思えた方がスッキリ終えられそうな気はする。

シス
まず、善には自己認識と他者認識が存在すると私は考えています。
そこで大切な事は両者は必ずしも一致しないという点です。
同じ善であるにもかかわらずです。
そして、人間はこうして長い間争い歴史を作ってきました。
そうなんです、歴史は教えてくれています。
自分で善く生きようとしても、十字架に貼り付けられたり、ギロチンを落とされたり、ガス室で虐殺されたりしてしまいます。
きっと、彼らは悪く生きようとはしてないはずです。
これはあまりにも悲劇としか言えないでしょう。
私は善とはその時代、その世界、その環境で生きる人の価値によって変化すると考えます。
つまり、絶対的な事ではなく、いつでも相対的な事であるといえます。
これは人間が常に相対的な存在だからだと思います。
しかし、絶対的なものは自分の中にのみ存在します。
私達は自己認識した善に対して絶対的な善として捉えるのか、または相対的な善として捉えるのか選択しなければならないでしょう。
自分の心は自分だけのものです。それに準ずるか反するかあなた次第ですが、この選択は自分の中にある最も中枢の部分であるが故にその人間の尊厳や規範が決まる瞬間とも言えるでしょう。
これはとても大切な選択になります。
おか
そのためにはまず自分にとっての善悪をはっきりさせましょう。

re:ゆきだるま☃️
赤い羽根共同募金をスルーしてしまいました

みずき🎀

雑食の巨人
puspisrow

澪美

京子ねえさん
善悪ではなく、もっと中庸な部分も影響が絡み合った世界だと思うからです。
悪いことをしなければいい、ではなく、良かれと思っても悪い結果が出ることもありますが、その上で良い影響を与え続けられるように生きるのが理想です。
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