「差別」と「区別」を区別してみて下さい

バラタイン
区別は種類お明確にしているだけ
だるま落とし
「答える気はないが他の答えは気になるな」が、区別。

正宗(ろー)
●区別は『グルーピング』
➜分類のための概念操作
●差別は『思想的態度』
➜内的な様相
漢字が似ているだけで語彙の概念は近接していない。
差別意図がない区別に関しても、
見る角度や、切る面によっては、『差別』が存在し、差別が見えることもある。
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[星2]差別の難しさ
❶何が差別か?
例)
●自国民と外国人で取り扱いの差異を設ける
●肌の色や性別で取り扱いの差異を設ける
➜何が差別で、何が差別でないかは定まっていない。
➜真理性、経営と福祉の観点、時代による意識変化等の影響を受けるため、一意に語れない。
❷どこからが差別か?
➜合理的な分類、制度的な分類、閾値は?専門家と大衆の意識の差異は?
❸認知スキーマ的に差別を疑う短絡処理が現代人には組み込まれている。
➜メディアやSNSの影響
➜『差別ではないもの』まで差別性を帯びるように見えやすいバイアス。
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[星2]まとめ
区別と差別の語彙判断が難しいのではなくて、『差別』にかかる判断が難しいのが本質。

仁
まずは区別から始まります。例えば人種の表現として、Negroid(黒人)Mongoloid(黄色人)Cavcasoid(白人)と言う分け方がありました。これは区別です。しかしそこに、制度、慣習、時間などが絡み合い、差別的意味合いが生まれてしまい、今は African ancestry (アフリカに先祖を持つ人) European ancestry (ヨーロッパに先祖を持つ人) EastAsian ancestry(東アジアに先祖を持つ人)と呼ぶのが適切であるとされています。
これは現代における一つの例です。
次にかつての日本においての身分制度を考えてみます。 士 農 工 商 これは区別です。
ただそこに、制度と慣習により、権利と義務に差がつけられます。そのことによって差別が生まれます。つまり 区別に差を設けることで差別となります。
しかし、これはあくまで原則です。最初から差別を前提とした身分がありました。士農工商のさらに下にある二つの身分 穢多 と 非人 です。
穢多 すなわち 穢れ多い 非人 すなわち 人に非ず 最初から区別ではなく差別されていた人達です。(差別と区別の区別が問いですのでこれ以上はやめます)
次に現代の日本における状況を見てみます。
まず制度(法律)として明確に差別は禁じられてます。したがって、区別はあっても差別は存在しない建前です。しかし慣習(文化)として感情的な差別感が存在しています。さらに、今も昔も関係なく、外見から現れる差別、対立から生まれる差別があります。これらは説明の必要がなく、区別とは明らかに異なる物です。
この感情が生まれやすい環境として、まさにこのネットの世界があります。個人が特定されない故の無責任な差別を前提とした侮蔑行為。これはもうどうしようもない事なのでしょうね。
この問いの答えとして、区別されたものに、それぞれ異なる義務と権利を付与することで差別となる。ただし現在日本においては、区別はあるが差別はあってはならないものであり区別の仕様がない。
あくまで個人の考えです。

けん
「区別」は似ているものに区切りをつけて別つこと。
言い換えれば「区別」は人が違いを認識するための作業であり、「差別」はその「区別」したものを見比べて優劣をつける人間の様である。
そう考えると「差別」と「区別」は「区別」ではなく「差別」されるものだと思う。どちらが優の行いかはいうまでもなく。

仁
次の一字を打ち出す手を僅かな自制心で止める。今僕は酔っ払っている。ごめんなさい、後日、シラフの時に、もう一度この問いに向き合ってみたいと思います。

ふくたろう🐶
関係性が変わらないのが区別
でしょうかね🤔

だしまき

dekitate

D.O(ダメオヤジ)
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