一つの概念を他の概念を用いずに説明することはどこまで出来るのでしょうか?

こん
義経
できるのはせいぜい、指さし(例示)か、“原始概念(これ以上は定義しない前提)”として置くか、操作(どう測る/どう扱う)で縛るくらいでしょう。
【なぜ難しいのか】
1、意味は関係で立つから。
「赤」は「青じゃない」「この色」みたいに、他との違い・用途・反応のネットワークで分かる。
2、言語の定義は循環しがち。辞書を辿ると必ずどこかで回る(=“別の概念で説明”の連鎖)
3、無限後退か、どこかで止めるしかない。
ずっと定義し続けるか、どこかを「前提」として受け入れるか。
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それでも「どこまでできるか」の現実的な答え
1) 指さし・例示(オスティンション)
「これが赤」「これが痛み」みたいに経験を共有してもらう。
ただし、ここでも“見る/感じる”という前提は使ってる。
2) 対比で輪郭を作る
「AはBではない」「AはCよりこう」みたいに、境界条件で伝える。
(完全に他概念ゼロではないけど、理解が最速)
3) 操作的定義(オペレーショナル)
「幸福=この質問票でこう点数化したもの」みたいに、測り方で固定する。
意味そのものの説明というより、使い方の合意。
4) 形式体系では「原始概念」を置く
数学や論理だと、点・直線みたいに**定義しない語(プリミティブ)**を置き、公理で性質だけ決める。
「説明しない」のが、むしろ厳密さになる。


KEN KEN
に「☝️この色」と示すことはできる。
「言語による説明」ではなく
「感覚の直接提示」なら当てはまるのかな?
混世魔王風雷坊津波
どうしても自己言及の構造に陥りますので。

〆さば
単視点でどこまで接続できるかってことになるのかな…
相対化出来ない前提だと輪郭が定義しにくいだろうし…つまり私は常に相対的に物事を見ていて実存はその中で立ち現れる構造の輪郭なのかな?
難しい!いや実存の話はしてないか…難しい!
にゅ

憂い顔の騎士

サイダー

うどん

愛善院
たとえば、詩的描写で、受け取り手に「こういうことである」とおぼろげに感じさせる方法。
石につまずいた。
その石に穏やかに微笑むような顔を見た。
今日は寄り道せずに帰ろう。
こういう概念をトワイライトシンドロームと呼ぶ。
とやると、通じるのだろうか(ドキドキ)
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