【求反証】他者に暴力をもって行動を強いることを悪と仮定する。産むという行為は産まれるものにとって生きる行動を暴力的に強いられる。出産は悪である。

pophat
そもそもの前提は崩れそうです。
生まれる前には現実世界へ意思をもって影響を与えることは物理的に出来ず、生まれた後には物理的にも影響与えないことなど出来ないのだから
生まれるという苦しみ覚悟で影響を与えるべくして生まれて来ていると考えた方が自然だと個人的には考えています。
それが意思なのか生物的な本能なのかは好きな方を選べば良いのかなと
としゆき
聞いたことのない言葉です
造語ですか?
ムック
・出産に関わった者を極刑に処す、悪からの解放
・生まれた者は完全に暴力、悪から解放されたのかを見守る
上記2点を自発的、善意をもって行う事で悪の定義からは除外される
法や倫理観を逸脱し考えないと回答が困難でした…

明石
くらげ

さーこ
行為。
お産は自身で選べない自然の中の一部。
太陽が東から昇り西に沈むことと似ている。
敢えて同じではなく似ている。としたのは
望まない妊娠があるから。
お産は暴力ではないとは言い切れない。
そして生まれない方が良かったと思うくらい過酷な人生もある。
哲学は学問なのでどこまでも追求することに意味があると思ってます。
この質問を投げかけてくれた
あなたに
感謝します。

たむい
臍の緒からは栄養だけでなく酸素供給もしている
二百年前の人間だろうが、胎児が自力で呼吸していないことは考えたら分かること
呼吸するための空気が胎内には無いのだから
でいつ肺呼吸を始めるのかといえば、出産直後のおぎゃ〜と泣き始めた時
それが母親と離れ単独の生命となった時
産道が暴力的であろうが、その時点で胎児は母の一部であり、その痛みは母自身が覚悟したもの
よって、出産は悪では無い
産道の痛みが母親に伝わらないという批判も考えられるが、爪や髪の存在を示せばよい

こん
前提部分の「暴力」と仮説部分の「暴力的」の定義が一致していない。実際の行為たる暴力と形容的な暴力的と言う言葉では指し示す意味合いは全く違う。この場合は非自己決定的にと変えられるべきである。

大沢木小鉄
だし
行動を強いる手段として暴力を挙げるなら、出産はまだ存在しないものに生きるという行為を強いる手段であり「暴力」にあたる。だが生きることを強いるには出産以外の手段がなく、複数手段がある場合の本仮定の前提と合致しない。
であるならば、仮定と異なる前提を持つ出産を、暴力同様と考え悪と断ずることは適切ではない。
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