【求反証】他者に暴力をもって行動を強いることを悪と仮定する。産むという行為は産まれるものにとって生きる行動を暴力的に強いられる。出産は悪である。
ムック
・出産に関わった者を極刑に処す、悪からの解放
・生まれた者は完全に暴力、悪から解放されたのかを見守る
上記2点を自発的、善意をもって行う事で悪の定義からは除外される
法や倫理観を逸脱し考えないと回答が困難でした…

さーこ
行為。
お産は自身で選べない自然の中の一部。
太陽が東から昇り西に沈むことと似ている。
敢えて同じではなく似ている。としたのは
望まない妊娠があるから。
お産は暴力ではないとは言い切れない。
そして生まれない方が良かったと思うくらい過酷な人生もある。
哲学は学問なのでどこまでも追求することに意味があると思ってます。
この質問を投げかけてくれた
あなたに
感謝します。

夏休みの最終日
胎児をどの時点から人間として扱うのかと、どの時点から他者として扱うかは別で考えて良いように感じました。

ひろ✨

大沢木小鉄
ちくたく
そもそも出産自体胎児が出ようとしているのを補助する行為であることは義務教育レベルで学べる話だと思う。
それを暴力的に行動を強制しているという捉え方をするのはいささか暴論ではないでしょうか。
こういう問題は往々にしてその人の体験や想いが込められていることがあるため一概に否定するようなことはあまりしたくないが、哲学以前にもう少し考えるべき部分があるように思える。
単純に論理学的な問題意識であれば小前提が命題として成立してないから間違っていると思われる。

談
理性で肯定せざるを得ないものは悪

サイダー
お腹にいる胎児は、母体外では生きていけないので、母親にとって他者にはあたらない。
よって、「他者に暴力をもって...」の仮定は出産に適用できない。

たむい
臍の緒からは栄養だけでなく酸素供給もしている
二百年前の人間だろうが、胎児が自力で呼吸していないことは考えたら分かること
呼吸するための空気が胎内には無いのだから
でいつ肺呼吸を始めるのかといえば、出産直後のおぎゃ〜と泣き始めた時
それが母親と離れ単独の生命となった時
産道が暴力的であろうが、その時点で胎児は母の一部であり、その痛みは母自身が覚悟したもの
よって、出産は悪では無い
産道の痛みが母親に伝わらないという批判も考えられるが、爪や髪の存在を示せばよい

pophat
そもそもの前提は崩れそうです。
生まれる前には現実世界へ意思をもって影響を与えることは物理的に出来ず、生まれた後には物理的にも影響与えないことなど出来ないのだから
生まれるという苦しみ覚悟で影響を与えるべくして生まれて来ていると考えた方が自然だと個人的には考えています。
それが意思なのか生物的な本能なのかは好きな方を選べば良いのかなと
もっとみる 



