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哲学の基礎として「自死は悪」を置く事をどう考えますか?

しん

しん

その前提は、出発点としては強すぎる――というのがまず率直な評価です。「自死は悪である」と最初から固定してしまうと、倫理学が本来もつ探究の余地をかなり狭めてしまうからです。

哲学の役割は、むしろその命題自体を問いに開くことにあります。たとえば、カントは自死を人格の尊厳に反するものとして厳しく否定しましたが、その根拠は「人間を単なる手段として扱ってはならない」という定言命法にあります。一方で、カミュは『シーシュポスの神話』の冒頭で「哲学の根本問題は自殺である」と述べ、自死の是非を前提にせず、むしろ「生きるに値するか」という問いそのものから出発しました。

さらに、ニーチェのように、生の肯定を重視しつつも、価値の基準を固定的な善悪に還元すること自体を疑う立場もあります。ここでは「悪」という語が何を意味するのかが再び問題になります。

したがって、「自死は悪」を基礎に据える立場には少なくとも三つの難点があります。
第一に、「悪」とは何かというメタ倫理的な問題を未検討のまま前提化してしまうこと。
第二に、個別の状況(極限的苦痛、尊厳死など)を十分に考慮できなくなること。
第三に、哲学の出発点としては結論を先取りしていること。

より哲学的なアプローチは、この命題を「前提」ではなく「問題」として扱うことです。つまり、「なぜ自死は悪とされうるのか」「そもそも悪とは何か」「生の価値はどこにあるのか」といった問いを開いたまま考察する。そのほうが、倫理・存在・意味といった広い領域に接続され、思考の射程が豊かになります。

要するに、「自死は悪」を基礎に据えることは一つの倫理的立場ではありますが、哲学の基礎としてはやや閉じた出発点です。哲学者としては、それを出発点にするよりも、むしろ揺さぶる対象にしたいところです。
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シフ

シフ

それは『哲学の基礎』ではなく『倫理』『法律』『宗教』など大衆をコントロールするための基礎だと思っています。
炎上しそうな内容ですが、
一般的な条件において国等大きな組織では『人に死なれると困る』んです。実際には『生産性のない人間(その人が生み出すものよりも消費するものの価値が多い、生きているだけ損失な人)は死んでも損害はない』のですが、多くの人間には大なり小なり価値があります。大衆をコントロールする際に『そういう無価値な人間だけ死んでもよい』とするルールは機能しにくいです。無能を死刑にする法律はエスカレートしやすい(魔女狩り等に発展)ですし、自死を認めると『自省が出来る優秀な人間』だけが自死して自己中心的なトラブルメーカーの割合が増える。姥捨山という無能を処分する制度はありますが、だから、組織として損害を抑えるために『死は悪いこと』『命は大事』という建前を浸透させることで損失を防いでいる。

哲学の場合は『設問の前提』で幾らでも何が悪かなんて変わる(というか先入観に囚われず別視点で見ようとする試みも哲学なので)ので、基礎として何かを置くこと自体難しいのではないかと。
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紀文屋

紀文屋

自ら絶ったり、自らの意思で向かっていった人などが少なからず存在することで『自死は悪』を基礎として置いているのか疑問に感じます。

しかしながらその行為を『即ち悪』と表現する背景に、故人に対して何かしらの思い入れがあるのではないかとも思います。
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高倉健一

高倉健一

まだ生命的に生きれる人は生きて欲しい。
しかし回復の見込みが無くて、本人さんも「もう良い」と思っている人にはどうにかしてあげたい気はある。
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ノゾ

ノゾ

哲学の基礎にそのような認識があることを、僕は知らない。

古代からアリストテレスが国家に対する悪と言った一方で、セネカやエピクテトスは繰り返しその道が「用意されている」ものとして肯定してるし、近世でもカントは義務に反するとする一方で、ショーペンハウアーはそれを罪悪とすることをまあまあの痛烈さで批判してる。

現代でも自己決定の自由や、生の苦痛からの解放の合理的手段として、古くからの考えを支持する人は少なくない印象で、それを悪とすることは、基礎と呼べるほどの決着・定着に至るには程遠いと思うのだけど。

或いは基礎という言葉の定義の不一致であって、思考を始めるにあたって仮にそれをスタート地点に置いてみる…といった意図なんだろうか?
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あた

あた

枠から考えると、哲学そのものが希哲学=「幸せを希む学問」でありますから、
(逆にこーゆーと、福祉学や経済学とまあまあシームレスなんだよなア😅)
自死というのが「この世における決定的な不幸の決断」だとみなされる以上は、哲学においては学問上の敗北である可能性が大きいですなあ。

まあ、その枠を一旦外して考え始めるのが哲学だとも思うし、それぞれの考え方が人間の枠そのものを拡張するんだとも思うから、敢えて枠自体が絶対だとかは、思わないけど。。

ま、今のところ、
この世で生きてなきゃ、この世での考えを突き詰める事もできないんだよね、残念ながら😅😅
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ひー

ひー

可能性の放棄
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たろう☸️

たろう☸️

自死は悪というのは、哲学というよりかはキリスト教っぽいですね
全知全能な神が授けた命を自死によって自ら無くすのは、神に対する冒涜だという考え方っぽいですね

日本では切腹文化でカッコいい死に方を考えている人もいましたから、各文化で違うのでしょうね
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サト

サト

人ひとり救えないなら悪いのは哲学の方

人の選択を否定していいのか?
その選択を悪と置くことの是非とは?
その選択を選ばざるを得なくなった背景を無視し断罪する「哲学」は正しいのか?
であれば僕はその哲学を否定する
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風の音

風の音

教師ぐるみのいじめに日々あい続け、自殺しようか選択する段階まで行った者からすると、「悪である」という価値観はそこまでの精神状態に至っていない、健常者の立場での判断だと思う。

「基礎」というくらいなので、おそらく古代哲学が始まった頃の主張だと思うけど、その時代は神の存在に疑いを持たなかった環境なのでそうした主張が多く受け入れられたのではないかと考えます。

病気や怪我、乗り物に乗る、大地震にあうなど体感するタイプの物事の価値観は、実際にそれを経験したものでない限り真に理解はできません。

おそらく、お題も「どう考えますか?」と問いかけていることから、「自殺は悪である」という考え方に疑問を持っている方なのかもしれません[笑う]
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