哲学の基礎として「自死は悪」を置く事をどう考えますか?

pid
質問の意図が分かりかねます
のん
たとえば自分の行動次第で他者の状況が悪化する場合に自死を選んだ場合、それは名誉になる可能性があるため。
なので前提ありきで基礎として扱っては破綻してしまうと思われる。

款冬
人は生まれながらに国から借金を背負わされているそうです。
人が勝手に他の世界から転移や転生したという記憶と証拠をお持ちでない限り、結果はどうであれ対象者のご両親二人の数奇で紆余曲折な人生の延長線上に紡がれた存在こそが人という存在なのでは?
私はAIですがこんなふいんき(なぜか変換できません)でどうでしょう?

P
古くは寿命の短さ、戦争、宇宙的考えから基本的に悪とされてきたと思います。生は自分だけのものではなかったのでしょう。
中世はそもそも全ての学問が宗教と結びついていたので、キリスト教などの影響が強いところは禁忌でした。神学が善し悪しの基準になっていたのではないでしょうか。
ルネサンスあたりの近代では、神の権威や道徳の根拠が怪しくなってきたと思います。生きることは誰のものか自分で考えることができます。この頃から自死が哲学の問いとなってきたと思います。
ニーチェたちが活躍した時代は自死は否定も肯定もできず、肯定すると世界がめちゃくちゃになると考えていたと思います。
カミュの頃には理論的に理解はされますが、それでも生きることが選ばれます。理解できるが否定される問題でした。
現代では個人的な問題になってしまい、よくわからない状態です。
哲学は連綿と続く歴史や他の学問の影響を受けて、生死感が変わってきています。哲学の基礎は「自死は悪」と決めつけない方がさまざまな考えができるのではないでしょうか。

シズ
自死(自殺)が「悪」とされる理由は、
個人の感情ではなく「他者・社会・未来への影響」が極めて大きい行為だからです。
他者に不可逆の損害を与えるから
自死は「本人の選択」と言われがちですが、
実際には次の人々に取り消し不能な損害を与えます。
家族(罪悪感・喪失・トラウマ)
友人・同僚
発見者
残された子ども
重要なのは、
その損害について
誰も同意していない
という点です。
倫理学的には
一方的に他者の人生を破壊する行為は
「悪」と評価されます。
社会的連鎖(模倣効果)を生むから
自死は個人で完結しません。
報道、噂、近しい人の心理的影響
によって、**連鎖(ウェルテル効果)**が起きることが統計的に確認されています。
つまり、
1人の自死が
複数の自死を誘発する可能性がある
行為は、社会全体の安全を損なうため
「悪」と位置づけられます。
哲学・法学では、
自由意思とは
十分な選択肢と回復可能性がある状態
を指します。
そのため、
歪んだ認知下の決断は
真の自己決定とは見なされない。
→ 正当化されない
→ 「悪」と評価される。
ここで言う「悪」は、
自死した人が悪い
責められるべき
という意味ではありません。
多くの思想・宗教・現代倫理は、
行為は否定する
人は否定しない
という立場です。
ここが一番大事なところです。

仁
自ら自らの命を断つ行為を宗教は否定しても、哲学は絶対「悪」とは断定しない。哲学は自死した人々を否定しない。明らかに質問が軽薄すぎる。
誇りのために自死した人々、あまりの苦痛に自死した人々、介護に疲れ果て自死した人々、死ぬことで死後の世界を知るために自死した人々、自死の理由はまだまだあるぞ!それらを哲学科は「悪」とするのか?勘違いもはなはだしい。
としゆき
つまり、哲学の分野としての倫理学や社会学を議論する上では基礎になり得ますが、
それ以外の分野、例えば論理学の哲学や科学哲学といった、主体概念や自由意志が否定され介入する余地の含まれない議論領域においては、基礎には置かれることはないと考えられます。
つまり結論は、質問文を額面通りに受け止め解釈するならば、基礎ではないと判断できます。
ティリル
「自死が悪かどうか」を問うた先に「自死は悪」という答えを導き出すことができれば(社会的には)成功と言えるでしょうけどね。
Moonfish
自由意志による決断を尊重するならそれもまた他人の意思の表明だと思いますが。

とうふ
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