哲学の基礎として「自死は悪」を置く事をどう考えますか?

non
古来より多くの哲学者が自死は悪であると考えてきましたが、それは完全な解答ではなく
あくまで多数派と言うに過ぎません。
ヒュームやカミュの様に悪ではないと考える立場もあります。
また、尊厳死の様に耐えられない苦痛を終わらせる為の自死も悪か?
あるいは映画アルマゲドンの様に多くの人を助ける為の自死も悪か?と聞かれると答えに詰まるのではないでしょうか?
従って基礎とするなら慎重に考えるべきと言うのが私の主張です。

ユリ

愛善院
日本では姥捨山という概念がありますが、捨てられることを自ら望む姥は「悪」と評価しえるでしょうか。
とある組織の秘密を守らないと、その組織はおろか家族や国そのものが危ないとする、自死以外に秘密を守れそうにないとするとき、その行為に限定して「悪」と評価し得るでしょうか。

pid
質問の意図が分かりかねます

シズ
自死(自殺)が「悪」とされる理由は、
個人の感情ではなく「他者・社会・未来への影響」が極めて大きい行為だからです。
他者に不可逆の損害を与えるから
自死は「本人の選択」と言われがちですが、
実際には次の人々に取り消し不能な損害を与えます。
家族(罪悪感・喪失・トラウマ)
友人・同僚
発見者
残された子ども
重要なのは、
その損害について
誰も同意していない
という点です。
倫理学的には
一方的に他者の人生を破壊する行為は
「悪」と評価されます。
社会的連鎖(模倣効果)を生むから
自死は個人で完結しません。
報道、噂、近しい人の心理的影響
によって、**連鎖(ウェルテル効果)**が起きることが統計的に確認されています。
つまり、
1人の自死が
複数の自死を誘発する可能性がある
行為は、社会全体の安全を損なうため
「悪」と位置づけられます。
哲学・法学では、
自由意思とは
十分な選択肢と回復可能性がある状態
を指します。
そのため、
歪んだ認知下の決断は
真の自己決定とは見なされない。
→ 正当化されない
→ 「悪」と評価される。
ここで言う「悪」は、
自死した人が悪い
責められるべき
という意味ではありません。
多くの思想・宗教・現代倫理は、
行為は否定する
人は否定しない
という立場です。
ここが一番大事なところです。
ちくたく

サイダー
「自死は悪」と思う理由を何か持ってるなら、その理由を言語化して基礎にするべきです。

Bo

仁
自ら自らの命を断つ行為を宗教は否定しても、哲学は絶対「悪」とは断定しない。哲学は自死した人々を否定しない。明らかに質問が軽薄すぎる。
誇りのために自死した人々、あまりの苦痛に自死した人々、介護に疲れ果て自死した人々、死ぬことで死後の世界を知るために自死した人々、自死の理由はまだまだあるぞ!それらを哲学科は「悪」とするのか?勘違いもはなはだしい。
ティリル
「自死が悪かどうか」を問うた先に「自死は悪」という答えを導き出すことができれば(社会的には)成功と言えるでしょうけどね。
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