これは待つしかないという経験をしたことはありますか?

ラズー

Noriko

めぇ
あれはマジでどうにもなんない泣

腹筋がほしい女
自分でもどうしようもできなく、確実な原因もわからないまま、自分らしくない日々を過ごしていました。
理解してもらえないかと思いますが、見えない力や何者かの力が働いていると言えるほど、不思議な感覚で、自分を助けられませんでした。
半年たった今ですが、少しづつ元に戻りつつあります。
今思えば、戻っているようで進化しているような気もします、そう信じます。

風の音
世の中や身の回りの問題は全てが理想どうりに解決することは稀。
その頃で問題が複雑なものほど、また、完璧な解決策を求めるほど困難になり、氷を鉄に変えるのを悩むかのごとくストレスを抱えてしまいます。
自分の場合、何だかんだと自分の人生を楽しんで生きてましたが、ある日突然、両親の介護費用と住宅ローンにおわれ、その後なしくずし的に築き上げてきたものを消失し、もがけばもがくほど解決とはほど遠い方へ進行して、天中殺なんて言葉では足りないくらい逆行の連続…最後はさすがに諦めました[笑う]
やることをやったけど解決できない場合は、氷を鉄に変えるようなもの。
その流れに逆らったりまだ見ぬ未来を嘆くことなく、「今」をできるだけキープしつつ何らかのきっかけを待つしかありませんよね。
蛇足ですが、自分自身で解決できない問題は外部のきっかけが転機をもたらすことが多いので、それ以来、行き詰まったときは気分転換も予て視野を意識的に外へ向けてます[笑う]
TSUMAさん

正宗(ろー)
私は日本型ハイコンテクスト社会と官僚型組織、Society3.0(工場労働社会)が、自己のパーソナリティ特性や認知特性と合わないのですが、
ここで社会のOSが進展するまで『待つ』という行動が浮かびます。
一方で、人間は『木』ではないので、知性と足を使うことで、合わない環境から移動することも可能で、ここでは環境移動権のような権利を行使するかという別の考えもでき、また、自分の環境移動能力の高低について洞察することも可能です。
野生の象は雨季と乾季で水源を求め大移動をするわけなのですが、現在環境が適合しない場合、生物は環境移動することが常であり、渡り鳥なんかも分かりやすいかもしれません。
一方で、人間には社会から要請される生活様式があり、マイホーム文化や仕事という概念によって、この環境移動に制約が働いていますが、社会通念的にそれが『普通』の概念となると、移動するという選択には決断や強い努力が伴うと認識するようになり、人間の認識は容易に歪められることも分かります。
人間がある課題と対峙した際、多くの場合、内在化した固定観念に拘束されている中で解決策や思考を行いますから、普遍認識・スキーマは人の思考を強固な枠に嵌める作用があり、にも関わらずこの枠は原理的に不可知になり、自分の思考が限局していることを知覚するのは難しいと考えます。
問いには『待つしかない』という設定がありますが、ここには『本当に待つしかないのか?』を問うことで、限局された思考から抜け出すヒントになることがあるかもしれません。
自分1人では待つしかないと考えている状況だとしても、もしかしたら別の解や有効策を隣人が持っているかもしれません。
つまり、思考の本質は個体の頭の中で完結していると、不可知の限局という制約からは逃れることができず、ここに拓かれた思考の価値と、集合知の結集が要請されると考えました。
哲学と接続すると、個としての思考、個としての営為はもちろん重要なことながら、同時に個の営為の限界を示唆し、拓かれた思考こそが思考の制約から抜け出すためのブレイクスルーになることが示唆されます。
玉入れが分かりやすいのですが、玉入れオリンピックに出るために英才教育を受けた子供よりも、特別なトレーニングをしていない5年2組チームの方が、

ゲッチュー

サト

A4
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