これは待つしかないという経験をしたことはありますか?
コージ

竜胆
どうしても、じゆんではく
おむつまん丸のお尻で
靴を履くために 座り込んだ
息子当時2歳
の後ろ姿を白目で見ていたあの頃、、


エテ公
プライム会員なんだからあまり待たせるなよ。

えつこさま
切羽

ルース

ろひたば
家らのところは車社会だから車がメインだけど
それがなかったら足がないからね

正宗(ろー)
私は日本型ハイコンテクスト社会と官僚型組織、Society3.0(工場労働社会)が、自己のパーソナリティ特性や認知特性と合わないのですが、
ここで社会のOSが進展するまで『待つ』という行動が浮かびます。
一方で、人間は『木』ではないので、知性と足を使うことで、合わない環境から移動することも可能で、ここでは環境移動権のような権利を行使するかという別の考えもでき、また、自分の環境移動能力の高低について洞察することも可能です。
野生の象は雨季と乾季で水源を求め大移動をするわけなのですが、現在環境が適合しない場合、生物は環境移動することが常であり、渡り鳥なんかも分かりやすいかもしれません。
一方で、人間には社会から要請される生活様式があり、マイホーム文化や仕事という概念によって、この環境移動に制約が働いていますが、社会通念的にそれが『普通』の概念となると、移動するという選択には決断や強い努力が伴うと認識するようになり、人間の認識は容易に歪められることも分かります。
人間がある課題と対峙した際、多くの場合、内在化した固定観念に拘束されている中で解決策や思考を行いますから、普遍認識・スキーマは人の思考を強固な枠に嵌める作用があり、にも関わらずこの枠は原理的に不可知になり、自分の思考が限局していることを知覚するのは難しいと考えます。
問いには『待つしかない』という設定がありますが、ここには『本当に待つしかないのか?』を問うことで、限局された思考から抜け出すヒントになることがあるかもしれません。
自分1人では待つしかないと考えている状況だとしても、もしかしたら別の解や有効策を隣人が持っているかもしれません。
つまり、思考の本質は個体の頭の中で完結していると、不可知の限局という制約からは逃れることができず、ここに拓かれた思考の価値と、集合知の結集が要請されると考えました。
哲学と接続すると、個としての思考、個としての営為はもちろん重要なことながら、同時に個の営為の限界を示唆し、拓かれた思考こそが思考の制約から抜け出すためのブレイクスルーになることが示唆されます。
玉入れが分かりやすいのですが、玉入れオリンピックに出るために英才教育を受けた子供よりも、特別なトレーニングをしていない5年2組チームの方が、

アルマジロ
朝まで待ちました
Moonfish
6時間待って高速バスで別の空港に運ばれました。
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