大人の定義は?
年齢とかではなく。

あお🫧
仕事をして、お料理をして、
子どもができないことを何でもやってのける。
それが“大人”なんだと思ってた。
でも成長して気づく。
身体が整えば、誰でもできることも多いし、
大人になっても子どものままの人もいる。
——スーパーでひっくり返ってる子どもみたいな大人も、案外多い。
年齢だけじゃ、大人にはなれない。
大人とは、「自分を超えて、他者や世界とどう関わるか」を
意識できる存在。
万能ではなく、不完全なまま。
その不完全さを抱えながら、
楽しさと誠実さ、忍耐力、
そして自分の選択に責任を持つことを手放さない。
それに加えて、経済力も大事だと思う。
かっこいい生きざまの人でも、
十分な財力がなければ、飢えた人にパンを施すこともできない。
逆に、スーパーでひっくり返るような大人でも、
財力にゆとりがあれば、学校を設立して
雇用や学びの機会を生み、社会に貢献できるかもしれない。
つまり、大人らしさは、心の成熟と経済力の両方で
形づくられるのかもしれない。
大人って、なんだろね(笑)

たか
さやんぎ
しかし、大人の形をした大人なんてあんまりいません。大人。大人とは、なにかわからない。
それこそ、答えなのでは。と思った
大人とは、わからない。定義が定まっていない。だから、大人とは、背伸びをした子供なのかもしれない。時には、甘えたくなったり、時には、泣きじゃくりたくなったり、時には、ぐずったり。
それでも、思い描いた大人という空想に近づくために見栄を張ったりしてしまう。それが大人なのかもしれない。

ともくりん
自分の行動に責任が持てること
子供が多くなりましたね
ねこ(*ΦωΦ*)

よよよ

こゆき

モ!
年齢かなっと思いましたが、年齢とは関係なくと釘を刺されているので諦めて他の思索に励みます
大人であるというのはまあまあ自律規範を持っている人かと思います
と言いますのも、他律規範では付和雷同で、あっちの人がこう言ったら流されて
こっちの人がああ言ったら流されて、それでは社会の担い手や子供の庇護者になれません
社会の担い手、子供の庇護者も大人の定義ですね
もちろん社会に所属しなくても、例えば森で木の上に1人で住んでる人も、心が成熟して責任感を持っていれば大人です
子供の庇護者というのも、実の子供を持っているかどうかという話ではなく子供一般に庇護の精神を持っているかどうかという話です
ではなぜ完全自律規範でなく、まあまあなのか?
まあまあ自律規範とは何か?
原則は自分の理念に従うけど、社会との調和も考慮することです
それは完全自律規範だと聖人か悪魔になってしまい、社会の担い手としてはどちらも独断が過ぎ、子供の庇護者としては聖人はいいとして、悪魔には任せたく無いということになります。
そもそも大人という曖昧で社会が決めた首輪のような言葉に、聖人や悪魔は手に余ります
やはりその人たちは大人という大きい括りではなく、それぞれ聖人や悪魔と呼ぶべきでしょう
ちなみに大人にもグレードがあると思います
低い順番から
ただ年齢が大人の基準になった自覚の無い人
大人の自覚が多少あるが他律規範な人
まあまあ自律規範な人
君子
君子とは儒教の理想とされた存在のことです
君子は大人のくくりの中の上位に存在していると思います
君子とは仁義礼智信を兼ね備えた大人の中の大人、管理者やルーラーです
大人オブ大人は君子だと思います
なのでまあまあ自律規範で君子を目指してる人が良き大人。略して大人としての定義にふさわしいのではないでしょうか?
(チャットgptに見せたら、ギリ許せる文章みたいな嫌な評価を受けましたが、奴の改善案は受け入れません!)


涼香(すずか )
全てに自分の責任になる事


pophat
自分の領域の広がり(自分の家族、自分の地域、自分の国、の星‥)の方向性
責任の方向性
寛容と反省の方向性
方向性を示すものなのに基準として使い出すと意味からズレていく気がしています。
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