哲学にセンスは必要?
としゆき
その中でも行間や段落の取り方といった、論述の内容そのものに対して、段階だった構築や論理的な筋道の明示のやりかたなどの、読み手に配慮する文章を組み立てる「センス」というものが知性的能力とは別に求められる。
この聞き手への配慮というものは、いわゆる学者というジャンルの区分それ以前の、意思の伝達というコミュニケーションの基本的な要素であるとも考えられ、学術書籍も論文も主張という言説の伝達を目的とした言語的な行為だと考えられる以上、そうしたセンスは必要不可欠なものだと判断できる。
しかし、必要以上の読み易さや感情的な印象に強く訴えかける画像の添付といった、(言い方はあまり好ましくないが)読者の読者体験に媚びすぎた論述で読者の支持を得ようとするものは、ものごとの解を追求する哲学的試みとは合致するとは言えない。
感情への同意は人間性そのものに対する共感であり、論理への同意は主張への真摯すそのものに対するリスペクトである。
必要以上のセンスで賛同の意を求めるの共感性の誘致は娯楽としてコンテンツ発信でしかなく、主張を提出するという読み手への配慮としてのセンス以外は、過剰な装飾品で構造の中身と読み手の認識にもやをかけうやむやにしている、と言っても言い過ぎではないはず。

サリンジャー
としゆき
意味のわからないAI生成の写真を貼りつけたり、即物的なことばの印象だけで読者を呼び込んだりなどは、やはり関心しません
puspisrow
知識を愛するのであればセンスは必要ないと思う

愛善院

あお
わからないけど、私は空気を読む力や
共感性が哲学におけるセンスだと思います。

7

すずしろ

志信shinobu
センスより、対話力(コミュニケーション)
※相手の意見も聞き入れる。

夏休みの最終日
あった方が良いけど必要とまでは言えない。が僕の考えに近い答え方かも…
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