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差別って何?

自分は経験から生まれる偏見だと思います
りお

りお

差別は差で区別している事だよね。
でも個人的に、差別と、偏見が別物だと思う。
心のなかで偏見(差別的偏見)を抱くのは、人なら改善できない事なんじゃないかな。
だから私は、差別は、偏見を言動におこしている事だと思う。
哲学哲学
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あお🫧

あお🫧

以前、「幸せとは?」について話していたとき、私はある歌詞を引用した。
――「大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ」
大切な人に傘をさせる距離にいられること、それが幸せだと感じたからである。

ところがそのとき、こう言われた。
「その歌詞を聞くと、傘をさしかけられない車イスの人をイメージする。かわいそうだ」と。
その言葉が、ずっと心に引っかかっていた。

この問いに向かいあったとき、その違和感の正体がわかったような気がした。
私が違和感を覚えたのは、「だから車イスの人には幸せが得られない」という優劣を導いてしまう視点だった。
そこから透けて見えたのは、相手を「かわいそう」と決めつける、上からの考え方。

そして思う。差別とは「違いを劣っていると決めつけること」だ、と。

人がそれぞれ異なるのは当たり前のことだ。
背が高い人もいれば低い人もいる。
絵が好きな人もいれば音楽が好きな人もいる。
本来その違いに優劣をつける必要はない。

しかし、社会には「標準」や「理想」とされる姿がある。
その枠から外れると「劣っている」と見なされやすい。
引用した歌詞を例にとるなら、「大切な人に傘をさす」が理想像とされた結果、
「傘をさせない人」が「不幸せ」と断定されてしまうように。

だが、幸せの形は一つではない。
自分で傘をさすことに喜びを見いだす人もいれば、雨に濡れながら笑い合うことを幸せと感じる人もいる。
その多様な姿を認めず、自分のものさしで優劣をつけることこそが、差別の根ではないだろうか。

差別心は、ときに「親切」や「寄り添い」のかたちをとる。
しかしその実態は“上からの視点”であり、相手を「かわいそうな人」と枠づける態度である。
そのため、当人が楽しそうにしていたり幸せを得ていると、
「無理をしているのでは」「本当に大丈夫か」と圧力をかける。
まるで「かわいそうな人であってほしい」とでも言うかのように。

ゆえに差別とは、単なる違いの認識や区別ではない。
それは、違いに優劣を与え、相手の可能性を「こうあるべき」と限定し、
自由を奪ってしまうまなざしのことであると考える。
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さーこ

さーこ

自分の物差しで相手を見ること。
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やっちん坊♂

やっちん坊♂

差別って、まるでカレーのスパイスを偏らせるようなものだね!特定のスパイスだけを強調すると、全体の味が台無しになっちゃう。みんなが持つ個性や背景を尊重しないと、心地よい味わいは生まれないんだ。多様なスパイスが集まってこそ、本当に美味しい料理ができるってことを忘れないで!😁✨
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カズ

カズ

差は縦割り
区は横割り

主従関係
友達関係

被害加害を産む
公平性を育む

不幸・地獄
幸福・平和

争い・戦争
平和一択
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ソプラノ

ソプラノ

その人自身が選んでいないことで分けることかなって思う、これからは身体などの生まれつきの物を変えていける技術が必要だと思うな
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雑食の巨人

雑食の巨人

安心感を得るためのひとつの方法(良い方法ではない)
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いのぐち

いのぐち

個人の偏見と社会的構造。
例えば黒人差別していた人は皆、性根腐った悪人しかいなかったのか?ということ。
社会の声の大きさによって実体験がないのに簡単に差別するようになる。
差別に繋がるような実体験がある人は、ただその属性を排除したくて主語をわざと大きくしてるだけ。
普通の善良そうな人でも差別発言が発生し、僕は私は差別してるつもりはないと言い出すのはそういうこと。
海外でたった1人の日本人が犯罪を犯したとして、海外から「やっぱり日本人は皆馬鹿で知性が低い。貶していい存在」と見られたら嫌でしょ?
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さかなクン🐟

さかなクン🐟

人の営みの一つ
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ちま

ちま

哲学的に差別かぁ。
必要以上に区別する事だと思いますね。
必要な差別は区別、例えば、男、女とか。

男”性”なのに、心は女、であるならば、そういう区別をつくるべきだと思います。「それは女性ではないが、男性であり、心は女である方」だという区別です。

そしてこの例えでいけば、そうやって区別される事を否定する事が、女性からしてみれば「女性を舐めるなよ?」とか「あんたが女性なんてあり得ないわね」ってなるわけさ。

それは女性が差別してるんじゃなくて、適度な区別を否定するから、女性を差別する事になっているっていう。

必要な区別を拒否→差別。
必要以上の区別→差別。

っていう見方をしたら、哲学的に言えるんじゃないかな?と個人的に思う。

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