人間テセウスの船
人は生きているうちに細胞は入れ替わるという。ならば、子どもの頃の私と今の私は同じであると言えるか?

よよよ

⭐️✨ライト
初めてレポートを書く時に教授から教わる名言があるわ
「1週間前の自分は他人です」
訳)1週間前に実験をした自分とレポートを書く時の自分は他人である。つまり、誰にでも通じるように結果をまとめろ。過去の自分でも分からないような物が他の人に伝わる訳が無い。
実験は再現性と透明性が基本であるため、この考え方が大切である。

毛玉
ただ「母親から」の認知は常に「僕は息子」だし、「飼い犬から」見れば「飼い主」のまま
テセウスの船は観測者がいたからテセウスの船足り得たんだと思うよ

Akira777
遺伝子すら経年劣化する
ましてや心は変化するだろう
成長に伴って
してないのなら残念ながら同じ程度に止まっているのかもしれないけれど
柴犬
もちろん体の細胞は違うでしょう。しかし、同じ設計図(DNA)沿って代謝した同じ細胞だし、記憶は連続しているし、他人からも連続して一人の人間として認知されているのだから、同じ人だと思う。
何を感じ、経験し、どうあるかの積み重ねがあなたであり私なんだと思う。
そういう観点だと、人間テセウスの船的には記憶を無くした認知症の人とかは別人に見えるのかもしれないな、なんて思いました。悲しいし怖いけど、、

lavi

愛善院
土曜日はおしゃべりばかり
この人物は「同一」であると言えるか。
これを仮定すると、結果的に「観察者(自己を含む)」が「証言」することでしか認められないのだけれども、そこにノイズ(〜だったらいいなぁ、のような類)が混じりこまないとは言い切れないのよねぇ。

Haru
哲学的な視点だと身体的連続性、体を構成する物質の連続性を重視する考え方で細胞は入れ替わり変化していくから厳密にいえば子供の頃と今の私は同一ではないって言う考え方
後は還元主義の考え方で過去と現在の私を結びつけているのは、あくまで記憶や経験の繋がりであって絶対的な同一性がある訳じゃないとすると細胞は入れ替わるし心も変化してくから過去の自分と今の自分は連続性のある別の存在と見るって考え方
身体の物質的な側面に焦点当てれば連続性あるから同じではないってことになるし
記憶や意識みたいな精神的な側面に焦点当てれば連続性があるため同じであるってなる
私はどちらも選べんな

マルサン

澪美
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