集団になると、よく「非合理的な決定」をしてしまうことがあるかと思います。これは何故だと思いますか?例えば、日本が太平洋戦争を始めたように。

タヌキ
非合理的な決定は結果として、そう見えるだけ。仮に日本が太平洋戦争に勝っていたら、戦後の歴史は非合理な決定ではなく、英断だったと評価される。
また、集団としてまとまっている方が個の生存率が高くなる。まとまっている集団の中で意見が異なると異物として弾かれてしまい、生存率が下がる。

もか
個人の合理から集団維持の合理へと目的がズレる。
①個人の合理
②集団の合理
集団ではこれが起きる。
■責任の分散
■同調圧力
■エスカレーション
■物語化
集団は正しさではなく整合性で動く。
太平洋戦争の例で言うと
誰もが完全に賛成していたわけではない
しかし止めると
面子が潰れる
組織が崩れる
責任が集中する
結果
「やめる合理性」より「続ける合理性」が勝つ。

ノゾ
けれど他の例を考えてみて確かになと思うのは、コロナ騒ぎの中、屋外のマーチングにあたって吹奏楽部員に穴のあいたマスクをつけさせたことなどは極めて非合理的だった(あまりの頭の悪さに、恐怖さえ覚えた)し、集団だからこそ生まれた愚行のよい見本。
相反する複数の強い要請があるとき、その間にある誰もが頷ける場所に着地しようとして、しかしそこには合理性という陸地がないケース。
要請の少なくとも一つが、恐れや怒りといった強い情念からきているときに、そうなりやすい。
太平洋戦争はともかくとして、コロナ騒ぎのいくつかは「バカだから」としか言いようがなくて、その起源は神でもないくせに中途半端な知恵を身に着けたという時点にまで遡りそう。

モキタモキオ
hironeko

ゆい
理由はその時々で違いますが起きうる要因としては議論においてのブレーキ役が居ない、議論の方向を修正する機会が無い、そもそも議論の機会が無く権力者の一存で決まってしまう等が挙げられます
戦争についてはよく議論されますが太平洋の時はこのどれにも当てはまらなかったと思います。一つ言えるのは「時代の流れが悪かった」それに尽きるのではないか、と自分は思います。
正直二度と起きて欲しくは無いと思いますが当時の日本の状況を鑑みると決して「非合理的な決定」と断じることが出来ない部分が有ると思います。

くりまんじゅうG
キニラ
単に戦線が拡大してるだけだし、状況的にそうせざるを得なかったから、果たして「非合理的な決定」なのかどうか。。。

憂い顔の騎士
そして、太平洋戦争を引き合いにだしているかが、太平洋戦争の総括はなされているのですか?

りりか
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