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おすすめの歴史人物とその魅力を教えてください♪

曇り空 (2期)

曇り空 (2期)

2人目。
鳥居 強右衛門(とりい すねえもん)。
低い身分である1人の足軽の身で在りながら、戦国の世の中に於いてこれ程までに武士としての本懐を遂げた者は居ないのでは?と思う程のお人です。
長篠の合戦での最重要人物と呼べるでしょう。
もしご存知無い方は、是非ともお調べを
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曇り空 (2期)

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何人も居ますが。。。
まずは。
大田垣 蓮月(おおたがき れんげつ)尼。
大政奉還の重要人物の1人である事は、相当に知られていない。
若き頃は絶世の美女だった。
が、特に未亡人となってから余りにも沢山の男性から言い寄られるのを苦にして全部の歯を抜いたり等、波瀾そのものの人生。
若き頃の富岡鉄斎を侍童とし、価値観等の人格の形成に大きな影響を与えた事も知られている。
蓮月焼と呼ぶ手づくりの茶器、とても美しいので是非とも見てみて下さい
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よし

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織田信長さん
人生輝いてました[照れる]とっても頭が良い所。
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のしがもす

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簡単に…

鎌倉時代末期〜南北朝時代の南朝の公卿で武将。父は、『神皇正統記』を著した北畠親房である。

3歳で叙爵され、13歳のときに後醍醐天皇の御前で『陵王』を舞い、天皇も笛を吹かれたという逸話がある。(増鏡、舞御覧記)
増鏡曰く、『夕づく日のかげ花の木の間にうつろひて。えならぬ夕ばへ心にくきに。陵王のかがやき出たるけしきいとおもしろく。かたりつたふるばかりにて。』
舞御覧記曰く、『この陵王の宰相中将君は。この比世におしみきてえ給ふ入道大納言(親房)の御子ぞかし。形もいたいけしてけなりげに見え給に。此道にさへ達し給へる。ありがたき事也。』
※訳省略。

はわわ…輝いている✨

最年少14歳で参議となり、建武の新政では、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した。
武田信玄でお馴染みの風林火山の旗…孫子四如の旗を最初に用いたのは彼だと言われており、下向に際し、天皇が旗の銘をお書きになったとか。
このことは、神皇正統記にも書かれている。

さらに、彼を伝説たらしめているのは、二度にわたる奥州から京への爆速遠征である。秀吉の中国大返しを遥かに越える日本屈指の強行軍で、その速度は一日平均40kmと史上断トツの日本記録である。一度目の西上では、足利尊氏を最も追い詰めた。

任地に戻り、19歳、二度目の西上前には、文化財の保護にも力を入れ、いわゆる'中尊寺供養願文'を謄写している。(国指定重要文化財)

尊氏が再挙したため、二度目の西上をする。
彼は、死の7日前に後醍醐天皇に決死の諫奏文を上奏している。醍醐寺でたまたま写しが見つかり、巻頭以外は内容を知ることができる。
そして…享年21歳(満20歳)で石津で戦死する。

その彼の名は、北畠顕家。

この生まれてから死ぬまでの短いながらも魅力的な人生…!もうパーフェクトすぎて…
もっと生きてもっともっと活躍して欲しかった…

画像は私の過去絵。
逃げ若のキラッキラッの顕家卿がまた良い!!
#のしがもすのらくがき #逃げ若

#あきーえとかあびい ←私の二次創作タグ。漫画と小説。解説では、顕家卿について語りまくっていますww
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やっくん

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武田信玄
ひとは城ひとは石垣ひとは堀、情けは味方仇は敵なり
この言葉が全てを物語っている!
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ラッキー

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豊臣秀吉だがね
で〜ら頑張ったんだでさ〜
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NOV76

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細川藤孝。

当代きっての教養人、中でも和歌を極めた末「古今伝授」を受け、武芸でも「弓馬故実」を授けられた文武両道を地で行くオールラウンダー。武将・政治家としての実務能力も高い。

そして何といっても大局を見通せる処世術の巧みさは圧巻で、足利将軍家の家臣としてキャリアが始まったが、織田信長と足利義昭が対立すれば織田方に、本能寺の変に際しては、自身の上役であり親族でもある明智光秀に付かずに羽柴秀吉へ。
関ヶ原の戦いには迷わず東軍方に与するという、味方すべき人物を一度も見誤ることはなかった。

その関ヶ原の戦いの際、わずかな兵で守っていた領国の丹後田辺城を、西軍方の大軍に攻められる大ピンチに陥った藤孝を救ったのが何と勅命。前に述べた「古今伝授」を受けた藤孝が亡き者になるのを惜しんだ当時の後陽成天皇が田辺城攻防戦を終わらせたのである。凡百の武将にはこんなことは起こりえない。

そんな藤孝の生き様によって、室町幕府管領家の名門細川家とはいえ分家の出身で零細な幕臣に過ぎなかったのが、息子の忠興の代に至るまでには熊本54万石の大大名に累進せしめた。決して派手ではないが地味なわけでもない、究極のバランス感覚を持ち合わせた賢人だ。
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きりん

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✨高坂昌信✨

川中島の戦いの後、戦死者を敵味方関係なく、丁重に埋葬し、いくつもの塚をつくったお人です。それに深く感激した上杉謙信は、武田家が、今川家から塩止めされた際に、武田家へ塩を送り助けたと言われています。「敵に塩を送る」ということわざは、ここから出来ました☺️
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山南

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新撰組の近藤先生ですかね、
近藤さんが斬首される前に読んだと言われた句からも分かるように責任感の強い所が魅力です、!!
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あまてらす

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第十六代仁徳天皇
民の竈の逸話は泣ける😭

今の政治家とはえらい違いよ。
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