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おすすめの歴史人物とその魅力を教えてください♪

ラッキー

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豊臣秀吉だがね
で〜ら頑張ったんだでさ〜
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エボママ

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徳川家康
 彼の考えていることは、想像を超えます。偉大なたぬきオヤジです。

黒田如水
 1人の女性を愛し続けた武将。もしかしたら、彼が天下人になっていた可能性も...。
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赤猫

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名古屋参三郎

出雲の阿国との恋愛が単なる伝承なのか事実なのか、それを想像された作品が多く、楽しめる
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石田三成

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やはり、石田三成ですね☺️

負けるとわかっていても、豊臣を守るために、家康に立ち向かった生き方に感銘を受けます‼️
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NOV76

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細川藤孝。

当代きっての教養人、中でも和歌を極めた末「古今伝授」を受け、武芸でも「弓馬故実」を授けられた文武両道を地で行くオールラウンダー。武将・政治家としての実務能力も高い。

そして何といっても大局を見通せる処世術の巧みさは圧巻で、足利将軍家の家臣としてキャリアが始まったが、織田信長と足利義昭が対立すれば織田方に、本能寺の変に際しては、自身の上役であり親族でもある明智光秀に付かずに羽柴秀吉へ。
関ヶ原の戦いには迷わず東軍方に与するという、味方すべき人物を一度も見誤ることはなかった。

その関ヶ原の戦いの際、わずかな兵で守っていた領国の丹後田辺城を、西軍方の大軍に攻められる大ピンチに陥った藤孝を救ったのが何と勅命。前に述べた「古今伝授」を受けた藤孝が亡き者になるのを惜しんだ当時の後陽成天皇が田辺城攻防戦を終わらせたのである。凡百の武将にはこんなことは起こりえない。

そんな藤孝の生き様によって、室町幕府管領家の名門細川家とはいえ分家の出身で零細な幕臣に過ぎなかったのが、息子の忠興の代に至るまでには熊本54万石の大大名に累進せしめた。決して派手ではないが地味なわけでもない、究極のバランス感覚を持ち合わせた賢人だ。
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山南

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新撰組の近藤先生ですかね、
近藤さんが斬首される前に読んだと言われた句からも分かるように責任感の強い所が魅力です、!!
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ルフレ

ルフレ

私は、新選組の沖田総司さん♡
歴史とか最初は、興味なんて無かった……。
でも、社会人になって、薄桜鬼を知って新選組の沖田総司さんの声を聞いて、どこかで聞いた事のある声だったから調べたら薄桜鬼の沖田総司さんのcvが私の推しの声優さんだったのもあってそこから歴史で好きになったのがきっかけで幕末の新選組の沖田総司さんだった。
沖田総司さんは、かっこよくってイタズラ好きで子供っぽい所もあって忠誠に忠実で兄弟子である、近藤さんが大好きで土方さんが大嫌いな所も大好きなんです♡
リアルには、恋人なんて、居ない私は、2次元で恋してます(*^^*)
暫くは、リアルで恋人は、作らない予定ですのでw
推し活(?)しますw
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よし

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織田信長さん
人生輝いてました[照れる]とっても頭が良い所。
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もろきゅう

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浅井長政

大河ドラマの江と
信長コンチェルト観て
どうしても会いにいきたくなって
今年の夏に小谷城跡行ってきました!

長政様含め、
NHKオンデマンド見れるようになったので
これからもっと、いろんな人物の事も知ってそうで
とにかく楽しい!

皆様の投稿、
拝見させて頂きまする!
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のしがもす

のしがもす

簡単に…

鎌倉時代末期〜南北朝時代の南朝の公卿で武将。父は、『神皇正統記』を著した北畠親房である。

3歳で叙爵され、13歳のときに後醍醐天皇の御前で『陵王』を舞い、天皇も笛を吹かれたという逸話がある。(増鏡、舞御覧記)
増鏡曰く、『夕づく日のかげ花の木の間にうつろひて。えならぬ夕ばへ心にくきに。陵王のかがやき出たるけしきいとおもしろく。かたりつたふるばかりにて。』
舞御覧記曰く、『この陵王の宰相中将君は。この比世におしみきてえ給ふ入道大納言(親房)の御子ぞかし。形もいたいけしてけなりげに見え給に。此道にさへ達し給へる。ありがたき事也。』
※訳省略。

はわわ…輝いている✨

最年少14歳で参議となり、建武の新政では、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した。
武田信玄でお馴染みの風林火山の旗…孫子四如の旗を最初に用いたのは彼だと言われており、下向に際し、天皇が旗の銘をお書きになったとか。
このことは、神皇正統記にも書かれている。

さらに、彼を伝説たらしめているのは、二度にわたる奥州から京への爆速遠征である。秀吉の中国大返しを遥かに越える日本屈指の強行軍で、その速度は一日平均40kmと史上断トツの日本記録である。一度目の西上では、足利尊氏を最も追い詰めた。

任地に戻り、19歳、二度目の西上前には、文化財の保護にも力を入れ、いわゆる'中尊寺供養願文'を謄写している。(国指定重要文化財)

尊氏が再挙したため、二度目の西上をする。
彼は、死の7日前に後醍醐天皇に決死の諫奏文を上奏している。醍醐寺でたまたま写しが見つかり、巻頭以外は内容を知ることができる。
そして…享年21歳(満20歳)で石津で戦死する。

その彼の名は、北畠顕家。

この生まれてから死ぬまでの短いながらも魅力的な人生…!もうパーフェクトすぎて…
もっと生きてもっともっと活躍して欲しかった…

画像は私の過去絵。
逃げ若のキラッキラッの顕家卿がまた良い!!
#のしがもすのらくがき #逃げ若

#あきーえとかあびい ←私の二次創作タグ。漫画と小説。解説では、顕家卿について語りまくっていますww
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