足るを知ると向上志向ってどうすれば両立できると思いますか

ヒデ坊

han

ばく

ありんこ

シス
そして、向上志向というものは何に対して上と考えているのでしょうか?それこそ、尽きることのない欲望の世界の言葉に聞こえます。
それ故にブッダは中庸を唱え、上も下もないバランスの取れた世界を目指すべきだと考えたと私は感じます。
つまり、この2つを両立させるという思考自体考え直さなくてはなりません。
向上志向の方は足るを知る事は出来ないでしょう。一生欲望の回廊を歩き続けることになるでしょうから。
えり
自分の現状に満足したい!
もっと理想に近づきたい!
誰かに認めて欲しい気持ちはあれど結局自分が自分を認めてあげるのがいちばん難しく、今の状態を愛してあげられるようになるか、愛せるようになるまで自分を向上させるか 最終目的は同じなのに認識と過程が異なるんですね。
自分の現状に満足出来ていることは素敵なことだし、自分に満足できず努力し続ける人も素敵です。 白か黒かで考えると対極にある選択ですが、
『及第点』を見つけてみてそこまでは努力する、そこまで行ったら満足してみるでも良いのかなと思います。私自身も、100点をとることに拘らず、しかし上を目指すくらい肩の力を抜いてやっていきたいものです。

かずら
落ちることも自然な流れとして受け入れ、そこに“マイナス”の意味を過剰に付けない。
大切なのは、上を目指すその歩みに幸せを感じながら、足りない部分を補っていくこと。
「足りないこと」や「欠けていること」すらも含めて、“足る”という感覚を育てることが大事だと思う。
完璧の中には「完璧な欠け」が内包されていなければ完璧足り得ないという事ですね
たとえば、左甚五郎の「忘れ傘」のように(この話には諸説ありますがその一説)。
完璧な建造物に、あえて“未完”の忘れ物を残すことで、職人はその仕事に「心残り」を刻んだとも言われています。
それは、完璧の中に“欠け”を内包することで、かえって全体が生きるという、美意識の表れでもあります。

レタス🥦
平均年収で十分生きていけるのに高収入を望む人間と同じ

斎
積み木を沢山重ねてより高く詰んだ方が勝ちゲームを我々は生来続けているわけですが
「足るを知る」とは今まで積み上げた積み木にうっとりとしてなさい、という意味だけではなく
積み重ねる動作、積み木を選ぶ思考、目標とする高さまでとの相対、積み木を置く場所の調整の仕方
あらゆる面、全てでなく、何か一つでも己の中で誇れるならそれでよし、とすることだと思うのです
向上していく自己に満足することも、あるいは可能であり、むしろそれを手放しに、無責任に要求される時代であった事が運の尽きです。それでもこうして問いを持てたことは素晴らしいことだとです。
(末文はChatGPTの出力より引用)

マルコ・アモレッティ
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