公園でボール遊びが禁止になってる風潮どう思う?

真夏のラムネ丸
事故やトラブルも起きるときは起きるのに。
(何もないところでも躓いたりするのにさー)

Sou

円
子供がどんな遊びも出来るようにすべき。
ある程度の危険が伴う事もまたお勉強です。
危険に晒されてこそ危機管理が養われるのです。

あお🫧
グラウンドを一面使って、大人たちがゲートボール。申請済みらしい。
そこを、低学年らしき子どもが一人、走り抜けた。
するとすかさず、「じゃまだからこっちに入ってこないで」と叱られる──
いや、それって逆じゃない?
グラウンドを占有したいなら、まず大人こそ有料施設を借りてほしい。
公園って、子どもが自由に走り回る場所じゃなかった?
子どもが静かに遊ぶと思ってるの?
あなたはどうだった?
走って、転んで、叫んで、汗まみれで、
いつの間にかルールを覚えて、ケンカして、仲直りして。
遊びの中で、育ってきたんじゃない?
公園の近くに住むって、
「子どもの声が聞こえる場所に住む」ってことじゃないの?
あとから公園ができたのだとしても、その説明はあったはず。
それが嫌なら、山奥に住めばいい。
都市の中に“子どもの声の消えた静寂”を求めるのは、傲慢だと思う。
子どもは声をあげない。
だから、言ったもん勝ちになる。
それが今の社会。
強く、大きく、早く言った方にルールが傾く。
そして、すぐ「ハラ」の名を借りて黙らせる。
“〇〇ハラ”の時代。
何かといえば不快、不安、不適切。
でもそれって、耳障りなものを排除して、自分だけの快適を保ちたいだけじゃない?
結局、“ことなかれ”と“自己中”の合作なんだ。
公園のあり方は、社会の本性を映す鏡。
誰の声が通り、誰の声が押し潰されるか。
それを見ている子どもたちは、
きっと「声を出さないほうが得だ」と学ぶだろう。
それ、ほんとにいいの?
私は、吐き気がする。
“子ども”が絡むと熱くなちゃう😅
ボール遊びを禁止することで、本当に守っているのは誰か?
誰の「安心」で、誰の「自由」が削られているのか?
今、もう一度問い直す必要があるのは、
「ボール遊び」ではなく、私たちのなかの「利他心」なのかもしれない。
ガワ

ゆな

狼
しかし、明らかに十分な広さがあるにも関わらず一律禁止とするのは公園の存在意義としてどうか?
住人が憩いの場として、さんぽなどに利用する場所として存在するのか、それとも主に子どもの身体的成長を助けるためにあるのか。
法律的には両方であるので、優先順位を争う形に成っている。子育て世代(※世代とは言ってない)は少数派、ほぼ必ず負けると言う状況で「優先順位を話し合う必要がある」なんて結論には出来ません。短絡的な自己利益ではなく、広い視野で判断するのは、総体化した人類にはまだ難しいと考えるからです。
また今回は言及しませんが、子供を騒音源とする騒音問題の話とも絡んでくるでしょう。ボール1つであちこちに転がっていくものですね。
個人的には子供の成長を見守る事は国民の義務と位置づけて良いモノだと考えています。言葉にするのが少し遅すぎたように思いますが、悪しからず。
――了――
追伸︰最後まで読んでくださった皆さまへ
今回は子供のボール遊びの話をしましたが、大人またはそれに類する能力の人間が悪意を持って“ボール遊び”をした場合の事も考える必要があります。
無敵の人より。
山原
ただ、今の社会って自分が子供の頃と比べると明らかに閉塞感があって、今の子はかわいそうだなぁとも思います。

レタス🥦
市側も公園作る時にある程度説明しただろうし
窮屈な時代

𝓡𝓮𝓷
なんか、最近の子は携帯ばかりで、引きこもってる子多いとか、オタクとかバカにしてる人いるけど、子供の好奇心を携帯で埋めてるの大人だし、なんでも危険だからとか危険察知能力を低下させてるのも大人だから、自分達も行動とか発言見直してから言って欲しい…てか危ないなら、ちゃんと見てあげなよって思う、大人も携帯ばっかやん#
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