「本質を理解する」とはどういうことか?
目に見える表面的な性質(偶有性)ではなく、その存在をそれらしくしている根本的な性質(本質)を捉えること。
• 例:
🧊 氷の本質は「冷たくて固い」という感覚ではなく、
「水の分子構造が温度で変化することで固体になる」という物理法則にある。

そら

ノゾ
僕がまだ新卒のぺーぺープログラマだったとき、上司に散々叩き込まれたのが「コードには本質を書け」だった。
上司はテーブルを例に出して、足が何本あるのかは本質じゃないし、天板が丸いのか四角いのかは本質じゃないし、そもそも足の有無も本質しまゃなく、我々がテーブルをプログラミングするならそれは「有形の何かを載せておく」になる…と言った。
我々が設計するテーブルという機能は、足があるという要素を固定すべきではなく、天板の形状を定めるべきではなく、それらを無限に変えうる、ただ「ものを載せる」という本質だけが変わらないものであるべきだ。と。
これは僕の個人史上では、後にシンプルな機能や、オブジェクト指向の理解に繋がっていくのだけど、オブジェクト指向プログラミングの理解は物事の本性を考察するときにとても便利なモデルになった。
あとから思えば上司の教えは、そしてそもそもプログラミングは(エレガントに書こうとするほどに)、たとえば四原因説やアレテーの概念とも綺麗に共鳴する。

アインズ

モンブラン
だと私は思います

こう

ざちょい
本質とは、それがそれであるためのそれである、みたいな定義が、昔の人によってされていました。
結局は合理的な意味分解に何かしらの意味を持たせるときに、個人の絶対的(相対的な世界における合理性を持たない部分)な価値だとか、意味(ナラティブ)だとか、物語性の部分に行き着く訳ですから、人間に共通するめちゃくちゃ根本的な部分(と、されている、欲求や感情)においては、その営為は初めて意味を持ちますよね。
そしてそれは結局、言語という相対的に意味を持つ世界には語り得ないものがあるだろうと思いますので、言語的な理解以外の手段も用いて、合理的に分解し、更に身体的に感じる事が「本質」という、人間全体における「それがそれであるためのそれ」を理解するということなのではないでしょうか。
この
せい君
本質ではない部分が個の味であり理解度の違いも楽しさの部分、大層に本質を理解してとか言ってると人生楽しく無くなると私は思う。
だが全て真実、芯をくらう思考で得られる世界は劇薬とも考える全てを見通す力
厨二病です

サト
聞き流してもらいたいんだけど
本質って意味を因数分解して
取り除いても成立するものを除いていって
残ったものなのかなと思う
ただ本質って
「誰がどの文脈で読むか」によるのかな
何を除いて何を拾うかによると思う
例えば氷の場合だと
料理では保存とか冷ますとか?
医学なら解熱とかになるのかな?
詳しくないから適当だけど
なので僕が氷を定義するなら
「冷たくて大抵の場合が固いもの」
「常温では液化あるいは気化するもの」
かな
だから要は
「氷の本質とは?」というより
「あなたは氷の本質をどう見る?」
なんだと思う
なのでお題の例も僕の例も両立することだと思う
ただ僕がお題の例の方向で置くなら
「水の定義」と「氷点下」は置きたいかな
水道水も単純なH2Oではないし気圧にもよるしね
拡大解釈、砂糖は?鉄は?も問える
めんどいからその方向は避けるけど
少し脱線したけどこのお題
「本質の本質とは?」によると思ってて
そこが「誰がどの文脈で」によるから
あさーーーい言い方をすれば
「みんな違ってみんな良い」
なんだよね
という普段はやんないけど
たまには思考経路を置いてもいいよね
という
取り留めもない自分語りでした

興味
そうなると、まず意味が与えられない場合には本質も存在せず、「本質を理解する」ということ自体がある種のフィクションと解することもできるのではないでしょうか。
一方で、現実には何らかの対象に意味を与えることはあるのであり、「本質を理解する」とはえてして、対象に与える意味を、その取り巻く関係者や環境に照らして、高度に抽象化して言語化し、その条件下で有用である状態を指していることが多いと考えます。
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