「本質を理解する」とはどういうことか?
目に見える表面的な性質(偶有性)ではなく、その存在をそれらしくしている根本的な性質(本質)を捉えること。
• 例:
🧊 氷の本質は「冷たくて固い」という感覚ではなく、
「水の分子構造が温度で変化することで固体になる」という物理法則にある。

のんびり屋
ただ本質は、理解する側の状況や価値観によって答えが変わると思うので、これが本質と答えるのは難しいと思う。

おしゃま
って流行った小話があって、よく本質の例え話で聞かされたもので。
僕は、その橋がどうゆう形で、どのくらいの長さで、何が上を通るのかでも積み方が変わるとも思いました。
コレは橋なんだ!と、自分だけのイメージで造ってしまっては、本当の形を知っている人や別のイメージで造っている人と形が変わって衝突するし、出来上がるものも美しくないでしょう。
「目的」「形」「機能」「手段」の共有が、この話には必要だと思いました。
本質は、欠けた情報を補って正解の輪郭を明確にする事だと、僕は思って石を積みます。
GALVON

れお
・自他を取り巻く環境的要因。
・個々の脳の構造上の違いからくるそれぞれの思考やそこからくる行動の違い。
目の前の現象や出来事は、それらから起こる相互作用からある意味必然的に起きてることを理解すること?

ネ🐃スプロ🍀
分解できないものを、理解すること

ムック
そこに至るまでの経緯が『真実』
『真実』を裏付けるものが『本質』
と解釈しました
つまり「本質を理解する」事は、とても難しい…

興味
そうなると、まず意味が与えられない場合には本質も存在せず、「本質を理解する」ということ自体がある種のフィクションと解することもできるのではないでしょうか。
一方で、現実には何らかの対象に意味を与えることはあるのであり、「本質を理解する」とはえてして、対象に与える意味を、その取り巻く関係者や環境に照らして、高度に抽象化して言語化し、その条件下で有用である状態を指していることが多いと考えます。

八咫烏
愛は執着。恋は憧れ。

紫苑しおん🐈⬛️
〇〇に入る言葉は
何でもいいかもしれませんが、
私にとって ねこちゃんは特別なので、
登場してもらうことにしました。
ーーー
さて、今回の回答を眺めてみましょう。
・変わらない核を探すもの
・分解し続けて辿り着くもの
・目的や機能を理解すること
・理解が応用できる状態
・そもそも本質など存在しない
など、様々な意見が見られました。
その上で、
私の陳腐な一言回答に、
少し色を足してみましょう。
ーーー
では、
“ねこちゃん”
という言葉を見た時、
何を思い浮かべましたか。
黒猫でしょうか。
マンチカンでしょうか。
それとも、
気まぐれな性格でしょうか。
大きさも違う。
毛並みも違う。
性格も違う。
それでも私たちは、
それらを “ねこちゃん” だと認識しています。
では、
ねこちゃんの本質とは何でしょう。
耳でしょうか。
尻尾でしょうか。
肉球でしょうか。
気まぐれさでしょうか。
しかし、
耳の長い猫もいる。
尻尾の短い猫もいる。
人懐っこい猫もいる。
例外はいくらでも見つかります。
共通項を探せば探すほど、
少しずつ手応えがなくなっていく。
ーーー
ここで登場するのが、
哲学者ヴィトゲンシュタインの
「家族的類似」という考え方です。
彼は、
ある概念には、 全員に共通する本質がある
とは限らないと考えました。
家族を思い浮かべてみてください。
父親の目。母親の鼻。祖父の輪郭。
全員に共通する特徴はなくても、
どこか似ている。
その似ている部分が、
複雑に重なり合うことで、
私たちは 「同じ家族だ」 と理解しています。
ーーー
ヴィトゲンシュタインは、
言葉や概念も、 同じかもしれない
と考えました。
つまり、
ねこちゃん
という概念も、
全てに共通する
たった一つの本質によって
成立しているのではなく、
似ている部分が
網の目のように重なり合うことで、
私たちは 「ねこちゃんだ」
と認識しているのかもしれません。
ーーー
改めて聞きます。
あなたは、
ねこちゃんの本質を説明できますか。
もし説明できないのに、
ねこちゃんだと分かるなら…。
私たちは一体、
何を理解しているのでしょうか?


雑食の巨人
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