美しさとは何か

KAZU

ロキ


カフェモカ☕

Ninja


たむい
美を感じるには、文化や教養が必要

ぽん酢🍊
👻
経験則が根底にあるので個人の違いは当然あって、たとえばモナリザの実物を見ても刺さる人と周りに合わせるために「美しい」と評価せざるを得ない人がいる。
例えば宝石なんかは高価で現実的にお目にかけられないほどの鮮やかな色や透明感や自然の中から採取できたとは思えないようなビジュアルのものが多く、そのおかげで不特定多数の観測を通しても「美しい」という評価を得やすい。多分逆に普段から見る石に価値を置きたがらないのは見慣れた光景だと思い込みたい安心感や構造的には信仰に近いもので、宝石は“石”というごく当たり前に存在しているであろうという概念の価値を底上げする宗教画とかステントグラス、建築なんかに近いのかもしれません。
人工美か自然美、どっちの方が美しいかと聞かれたら「主観では?」って言って了えばそこで終わり──とはなるわけではなく、「ニワトリが先か卵が先か」同様見方によって答えはどちらにもなり得ますが、正味ニワトリが誕生したタイミングでのその親が別の種だったとしても生まれた子はニワトリに変わりなく、そのニワトリの産んだ卵から生まれたニワトリはニワトリをニワトリと種族分けするための材料に過ぎないだろうと定義すれば洗練されていない状態のファーストニワトリ(自然美)とセカンドニワトリ(人工美)の関係性から確実に上位の美であるのは人工美の方なのかなと考えますね。自然美は逆に自然そのものが美しいというよりかは、普段目にしない光景ゆえに特別扱いしやすく、そこに歴史を通して培われてきた自然の価値やモノの価値を投影しやすいだけにも感じます。おそらく、「そんなことない。自然は地球が産んだ最高の美術品だ。」なんて答えてしまうと、神が世界を作り出したというインテリジェント・デザイン論の下では否定されてしまいますので、その理由だとその“美”は後付け設定の可能性が高いと思います。
文字数やばいので端折りますが、“美”は個々にとって絶対的に特別な概念で、心酔すれば他者の感覚を排除したり自分を退廃させていく原料でもあって、それを正当化させるために生み出した言葉の文化が「ポジティブ(美)」「ネガティヴ(その他)」で、文化って結局個々の揺らぎを殺す意味の固定化でもあるので、

SYAO

Noriko
自然体
ブラックテール
要は腑に落ちる事ではないだろうか。
もっとみる 






