人間の中に時間があるのか?時間の中に人間がいるのか?
理由もよろしく

くま
人間が感じている「時間」は別のものだと思っています。
人間は、
「昨日」「今日」「明日」や、
「1時間」「1年」などを使って時間を理解しています。
でも、それは人間が生活しやすいように作った“時間の感じ方”であって、
時間そのものの正体を完全に理解しているわけではないと思います。
例えば、人間には見える光の範囲が限られているように、
時間についても、人間はほんの一部しか感じ取れていないのかもしれません。
別の例えとしては
「海の中で生きている魚は、“海”そのものをほとんど理解していない」
というイメージに近いと思います。
魚にとって海は当たり前すぎて、
その全体像を見ることができません。
人間にとっての時間も、それに近い気がします。
私たちは時間の中で生きていて、
毎日時間を使っています。
でも、時間の外側から時間を見ることはできません。
だから人間は時間を利用することはできても、
“時間そのもの”を本当に理解しているかというと、
まだほんの一部しか分かっていないのだと思います。
なので私は、
「人間の中に時間がある」というより、
「人間は大きな時間の中に生きている」
という考えのほうが近い気がしています。

世紀末覇者ラ王
という見方もあります。
でも本来なら、
「生きているから時間がある」
とも言えるのかもしれません。
つまり、
人間が変化を感じるから、
時間という感覚が生まれる。
だから、
「時間の中に生きている」
も正しいし、
「生きているから時間がある」
も正しい。
結局は視点の違いなのではないでしょうか。

𝒘𝒐𝒍𝒇🌕
動物と同じく自然の中に人間がいるだけのこと

ぐるぐる
時間は存在せず、人間の認識の錯覚という考えはあるが、それはまだ人類が有する時間を記述する物理学的な知識が足りないだけかと
エントロピー増大則は経験的なもので、時間の矢の向きも確率的な経験的認識だとする説に反対したい

ハリー
多分私的にはどちらもって感じですね!
体感時間と、公共の時間は別だと思いますが、どちらも時間という概念なので。

Mr.メランコリー
時間は星の動きを可視化したものにすぎない。

うに
というより人間ってなんですか?

しん

たか

サト
「人の中に時間という概念があり、その時間の中で人が生きてる」のかなって
でもなんか違和感あって、まだ言語化が難しいけど「どっちでもない」かもしれないと思った
呂布と信長みたいに別の軸の概念かなと思う
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