人間の中に時間があるのか?時間の中に人間がいるのか?
理由もよろしく

ほくり
また、物が多い場所にいるのと、物が少ない場所にいるのとでも、刺激の量が違うので、時間が経つ感覚が変わるそうです。
ただ、みんながその時間を頼りに生きていってしまうと、待ち合わせや仕事などで不都合が起こります。
その不都合を解消してくれるのが「時計の時間」です。みんながどんな時間の感じ方をしていようと、「時計の時間」で動いていけば、周りの人と同じペースで過ごすことができます。
なので、「時計の時間」をベースに過ごしていく中で、人それぞれに時間の感じ方が違うんだということを意識していくと、みんなが過ごしやすくなっていくのではないかと思います。
…という内容が書いてある「時計の時間と心の時間」という説明文が、小学校6年生国語の教科書(光村図書)に入っています。
そのことを踏まえると、「人間の中にある時間」を大切にしながら、「時間の中で人間が生活していく」のが良いのではないかなぁと思います。
…異論は認めます!
GALVON
人間の中になるか環境としてあるかに置き換えるなら、環境に対して、人間が法則を定義した。となると思います。

ほろよい

ぶんまる
理由としましては
生きてるという概念、限りがある内は、時間の中にいるものだと思うからです。

min.
なので 時間の中に人間がある、のも然り
そして 、人間一人一人の中にも独自の時間の概念は存在すると思います。

comesunday
人間の記憶の拡張構成概念の一要素として時系列がある
人間が身体的に知覚できる周期振動と熱的散逸の合成感覚として時間の経過が意識される

re:ゆきだるま☃️
人間原理を支持しますね

han
Ra
ただし、経過時間の調整なら相対的にあると思う。
まず人を構成する原子は、原初のビックバンからのエネルギーの波及を受け取って持続と循環をさせていると考えられる。宇宙の外側とビックバン以前が未定義である現時点では、この原子の運動の可能性がある状態(エントロピー)こそ時間だと思うので、物理的に、時間は人間を含む。
次に、特殊相対性理論では速度が速いものは時間経過が遅くなるらしい。つまり、例えば脳内処理を速くすればするほど、自分の時間経過は相対的に遅くなると言えるのではないか。これにより、相対的な時間経過の意味で、人の中にも時間は存在する。
個人的見解です。

みのり
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