数値の評価を気にしますか?
なんにつけてもですが、
数字の多さを気にしますでしょうか?
それとも数より質を気にしますでしょうか?
お答え頂けると幸いです

あお🫧
努力が“見える化”される気がするから。
「〇〇点」「〇〇回」「〇〇%」――
積み重ねた時間や、誰にも気づかれなかった頑張りが、形になることで、
自分の中でやっと「ここまで来た」と思える。
でもそれは、他人に認められたいからじゃない。
他人のスコアや“いいね”では、
私の本当の努力の深さまでは、見えていないと思うから。
私は、自分だけが知っている“がんばったログ”を信じていたい。
泣きながら続けたこと。黙って終えたこと。言わなかったこと――
ひとつひとつ、心の中で数えていくようにして。
だけど、世の中には数値にならないことの方が多すぎる。
たとえば、「やさしいね」って言われるとき。
それは、何回声をかけたか、何回頷いたか――
そんな“わかりやすい回数”だけで決められている気がする。
でも、やさしさって本当にそれだけ?
ときには、他者にとって耳が痛いことでも、必要なら伝える。
それもまた、やさしさじゃないのかと思う。
誰かのために言葉を選ぶ苦しさや、
沈黙という選択に込めた想い――
そういう“ほんと”や“深さ”こそ、数値で表せたらいいのに。
痛みにだって、数値がつけばいいのにと思う。
「強いね」って言われることがある。
でもそれは、努力で身につけた回復力であって、
決して、痛くないわけじゃない。
何度刺されても、傷に慣れることはない。
回復力があることと、傷つかないことは、別なのに。
だから、願ってしまう。
見えないものにも、数値があったらと。
わかってほしいとは、もう思っていない。
諦めた分だけ、自分の軸に寄り添ってきた。
でも、ときどき思う。
この痛みや選択にも、数値がつけられるなら、
私は、この軸をそっと差し出せたかもしれない、と。
気づかいポイント、こらえた涙、声に出せなかった「たすけて」メーター。
誰もが持つ“努力のログ”が可視化されたら、
きっと少しだけ、世界はやさしくなる。
そんな仕組みはまだないけれど――
私は、今日も黙って積み上げる。
私はINTJ。
圧倒的に少数。
少数というだけで、「なんか変」と言われる。
この社会では、平均値が“ふつう”で、
“ふつう”が、まるで正義のような顔をしている。
つまり、
平均から外れた私は、最初から「悪」なのだ。
もう、善悪さえも数値化されたらいいのに。

らかん
けど、結局本質的ではない場合がほとんどなので、気に病むことはない

鳩時計🕊

新一
(例えば戦争とか)

翔太郎

月島チキン素敵?!
時には残酷さを、時には感情を排した真理をくれるものとしてかなり信頼している。思春期の頃はテストの点数、身長、座高とかで一喜一憂してたよ。
小数点第三位の世界で働いてた時は有効数字(数値の精度を示すもの)が指示されてない自然数に不安になるようになった。例えば10は10.000とか入っててほしい。10が実は省略された9.569とかだったら😱

ちいたん

han

ともちゃん

えり
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